受付には宮田さんという現地採用の若い女性が来てくれた。福永の格好を一目見
て言う。
「わざわざスーツでいらっしゃったんですねえ」
確かに今日は十二月だというのに随分な陽気で、地下鉄の駅からこのビルまでの
短い距離を歩くだけで福永は汗をかいてしまっていた。それでもこの後のことを想
像すると今度は違う種類の汗が出てきそうになる。経費削減とやらで、福永一人の
出張しか認められなかったのだ。福永の脳裏に部長のイヤミな顔が一瞬浮かぶ。
宮田さんに案内されて福永は会議室に入る。既に中には揃いの上着をはおった中
国人のエンジニアが集結していた。自分よりも若い連中ばかりだった。リーダー格
のメガネをかけた男(実際のところ、彼らのほとんどがメガネであったが)が立ち
上がり、福永に握手を求める。この歳にして初の海外出張で、また福永にとっては
挨拶で握手をするというのも初めてである。ぎこちない英語とぎこちない手。自分
の手がまだ汗ばんだままのような気がして恥ずかしくなる。その後何とか、彼のビ
ジネス・カードと福永の名刺の交換までこぎつけた。
福永はそこでやっと彼がレイだとわかった。というのも、このレイというイング
リッシュ・ネームの人物とは何度もメールのやり取りをしているのだ。初対面にも
関わらずレイはきれいな発音で『フクナガさん』と「さん付け」までして呼んでく
れた。あらかじめ宮田さんに確認していたのかもしれない。
気付くとレイの後ろには人の列ができていた。福永はまるで芸能人のように次か
ら次へと握手をし、名刺を渡していくことになった。ところがレイとは違って、彼
らは『フクナガ』と発音できない、というかそもそも四文字を覚えることができな
いようであった。皆ローマ字表記のところを食い入るように見ている。福永は自分
の名を何度もゆっくりと復唱しなくてはならなかった。
そういうことを繰り返していると、やがて彼らは口々に同じ言葉、『フーヨン』
と言い始めた。すぐに分かったことだが『福永』の中国語読みが『フーヨン』なの
だった。そしてその場で福永は『フーヨン』なるイングリッシュ・ネームを獲得す
ることとなる。
何とか打ち合わせを終えた福永は、帰りに宮田さんに再会したのだが、彼女まで、
「フーヨンさん、困ったことはありませんでしたか」
なんて言い出したので驚いてしまった。おまけに彼女は福永の顔をまじまじと
見ながら、
「フーヨンなんて女性アイドルみたいで、かわいらしくていいですねえ」
とうれしそうに付け加えるのだった。
これはフィクションです。
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