2003年10月30日

(HK)意味不明な

 ホームの壁にかかっている広告の看板なんて、今まで注意して見たことはありませんでした。大体五分も待てば次の地下鉄が来るので、ホームに長居することはほとんどないのです。ですからその看板に目を留めたのは本当に偶然でした。
 看板の中央には分厚いステーキの写真が配置されており、その下には「肉を食べよう」みたいなメッセージが添えられていました。これだけだとごく普通のレストランの広告に過ぎないのですが、目を写真の上のほうに動かしたとたん、そこに釘付けになりました。何と「神戸牛」と記されていたのです。
 いや、正確には「神戸牛」を"Wagyu beef from USA"と英語表記していたのです。その店では一体何が提供されるのでしょうか。

2003年10月28日

(HK)一から数えましょう。

 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。

 終わったら、今度は、十から戻ります。

 十、九、八、七、六、五、四、三、二、一。

 ご協力いただきありがとうございました。気付いたことはございませんか。種明かしをすると、昇順と降順で四(し、よん)七(しち、なな)の読み方が異なっているはずです。日本語の数体系というページに詳しく書いてあります。
 香港にやってきてすぐ、この事実に気付いてはいたのです。日本語と広東語の数え方をお互いに教えあったりしていたので。でもこのすっきりとした説明を得たのは、つい最近のことです。日本語を話しているからといって、日本語を教えられるわけではない、ということを実体験で理解することができました。

 上のページの親ページは世界の言語の数体系というのところなのですが、ここにたどり着いたのは実は小切手がきっかけです。
 小切手では、まず金額をアラビア数字で書き、加えてそれを英語で書き下すというルールがあります。恥ずかしながら、その際"hundred"や"thousand"を単数にするか複数にするかが、私の中で曖昧だったので検索をかけたのでした。そのページによると、単数のようです。(この期に及んで自信なし) つまり、300="three hundred" (sなし)です。英語を勉強していたはずなのに、こんなこともわからないので、自分のことながら愕然としてしまいます。

 ついでに色々と世界の言語の数体系をのぞいていたのですが、いや色々あるものですね。「グワンダラ語ニンビア方言は十二進法です。グワンダラ語の他の方言は十進法です。」なんていう記述にも出くわしました。十二進法ということは、例えるならば13を"twelve one"と呼んだり、143=11*12+11を"eleven-twelve eleven"と呼ぶようなもので。そして144=12*12には十進法の"百"のような別の単語がしっかりと用意されているのでした。

 しばらくこの人のページをうろうろとしていると、『短編』でお世話になっている北村さんの個人ページがそこからリンクされているのを発見しました。大げさですが「地球は丸い」と思った瞬間です。そして北村さんの大変面白い篆書でGO!はこれまた恥ずかしながら今まで未読だったのでした。長々と書いたのですが、ぜひ篆書でGO!に行くべし、というのが今日の結論であります。

2003年10月27日

(HK)一週間を思い出しながら書きます。

(1)
 こちらには日本の中古車が流れてきているようです。日章旗のシールが貼ったままのトラックも見かけました。複雑な気持ちでした。
 先日は一台のぼろぼろのワゴン車を見かけました。ドアのところに日本語が書いてありました。とりあえず末尾の(自家用)に目が行きました。日本の中古車なのかなあ、と考えましたが、何か違和感がしました。
 よく読むと、藤原とうふ店(自家用)となっています。そうです、そこでようやく気付きました。これは香港でも人気の頭文字Dの影響のようです。
 でも、そんなのを真似してもねえ。というかワゴン車にそんなのつけたら、本当にそういう車両みたいで、何だか分からないですよ、本当に。

(2)

——やるしかない。
 決心を固めて僕はエンターキーを押した。緑色の文字がウインドウの中をものすごい勢いで流れ始める。始めのほうの分岐は問題なく通過していった。パラメタも正常の範囲内だ。しかしやがてファンの回転数が上昇し始めた。PCの箱と共振して低いうなりをあげる。
——奴が来る。
 PCが光った。
——来るのか?
 僕は両手を伸ばして、手のひらをPCのほうへ向けて構えた。チャンスは一度しかないはずだ。
 バリバリバリ。プラスティックが砕ける音がする。今しかない。
 「除蟲!」
 そう叫ぶと、白煙が手のひらから発生した。それはPCの割れ目に一直線に吸い込まれていく。僕の技は効いたのだろうか?

 というようなショートストーリーを私に想像させた「除蟲」、何のことはないソフトウェア開発におけるdebug(デバッグ、バグ取り)のことでした。の字が大げさすぎるような気がします。

(TEXT)中里さんのこと

 中里奈央さんが亡くなられました。私は中里さんとは『短編』『あるテーマ』でしかご一緒しておらず、また親しいほうではなかったような気がしますが、思うことがあります。
 『短編』まわりの掲示板で、中里さんの作品が話題になったり、実際にご本人が見えたりしていた頃のことです。私もどんな人なのだろうと思って、彼女のページを訪ねました。そこで大賑わいの掲示板と「文章だけでも、理解し合えると思うよ」という彼女のメッセージを見つけました。
 しかし、どうも私はナナメな人間のようで、そのメッセージを正面で受けとめることができず、そのせいか自分とは雰囲気があわないような感じがして、ついに書き込むことはありませんでした。
 亡くなったと聞いて、彼女は確かにそのメッセージのまま生きたとのではないか、と私は思いました。とても偉ぶった言い方です。また、当たり前のことを今更、とも考えます。ですが、最後まで書く意思は衰えなかったようですし、同室の入院患者さんにも「自分は文章を書いている」と公言していたようですし。そういうのを知ると、上の思いがますます強くなります。
 今も彼女のページに行ってきました。たくさんの人が追悼の書き込みをしています。彼女の文章は多くの人に影響を与えたのです。そして与え続けるのでしょう。
 彼女は北海道に住んでいたそうです。もうそちらでは、初雪など降ったのかもしれないですね。「You did it!」という言葉を、まだまだ暑い当地からおくり、本文章を終えたいと思います。

(追記; 読み直して見ると「悲しさ」の表現がないことに気付きました。本文章は、中里さんが亡くなったことを知ってから一週間たった後に書いたもので、知ってすぐの思いとは異なる、二次的な思いを述べたものだと解釈していただければ幸いです。)

2003年10月19日

(HK)しばらく更新していないと

 だんだんと自分のページを見るのが怖くなってきますが。

 この前日本料理屋に行ったのですが、そこでかかっていた音楽は「はなわ」の歌でした。小一時間もうずっとひたすら「はなわ」だったわけです。いくら客のほとんどが日本事情に疎いとはいえ、許される行為ではないとビールを片手に思っていました。憤るまではいきませんが。

 韓国焼肉の店にも行ってきました。皿に肉をくるむための野菜が載せられていました。よく見かけるやつです。でもこの時にはそれらだけでなく、同時にさりげなく青唐辛子も載っていました。うっかりさんな私はそれを生で一つ食べてしまったのです。
 結果、私は席を外して、もだえ苦しむことになりました。しばらく手の震えというかしびれというか、そういうのが止まりませんでした。初めての体験でした。
 一体どうやってあの青唐辛子を食べるのでしょうか。食べられるのでしょうか。未だに謎です。それから、もだえ苦しんだ私なのですけど、実はそうやって苦しい目にあうのは実は香港に来てからもう三回目ぐらいで、つらいことはつらいけれどもそのうちどうにかなるかな程度に落ち着いていたのでした。ちょっとは鍛えられたのかもしれません。

 やっぱり食べ物関係の話が多いですね。ところで、久しぶりにこうやってBlogを書いたのですが、文章を書く意欲はまだ戻ってきていないような気がします。

2003年10月10日

(HK)一次でも二次でもなく

一級方程式とは何でしょう。ああ、これはよくgoogleで引っかかりますね。F1です。あの走るやつです。

10月1日から5日まで日本に帰国していました。今週はどうもそのせいでリズムが崩れっぱなしです。あちこちネットを見て回るのは今度にします。

2003年10月1日

(HK)おいおいおい

 力んで長い文章を書いたら、また文字化けしました。