2004年1月19日

(HK)モウとヤウ

 岡村隆史が出ている『無問題』(モウマンタイ)という映画があります。私は香港に来る前からそのタイトルだけは知っていました。実際『モウマンタイ』という発音は広東語で、文字通り『問題ない』という意味でかなり頻繁に使われます。頻度的には日本語の『問題ない』を上回っている感じであり、どちらかというと『大丈夫』に近いのではないかと素人的に推察します。
 で、『無』ときたからには『有』もあって、それは『有問題』(ヤウマンタイ)となります。『問題がある』ですね、こちらは。

 この『有』、この一語だけだと『私は持っている』のニュアンスになるようです。いつだったか、こちらの人が「ヤウヤウヤウ」と言っているのを聞いたのですが、そのときに私の頭にふと『クイズ100人に聞きました』の「あるあるある」コールが浮かび、その置換がなぜか無性におかしくてたまりませんでした。

 この『無』、別の字もあるそうです。『有』に似ていますが、『有』と異なり、中の『月』において横棒2本が削除されています。これで同じく『無』という意味を持っているとのことです。この字は広東語にだけ存在するとかしないとか、人づてなのでちょっとはっきりしたことは分からないのですが、発想は非常に漢字的で、興味深いです。

(HK)旧正月が来ます!

 一月一日だけが休みだったニューイヤーホリデーに対し、こちら旧正月は来週ほぼ一週間近く続きます。私も月曜日一日だけ働いて日本の某地方都市に戻ります。
 某地方都市と香港間にはSARS前まで直行便が週二便飛んでいたのですが、SARS後の長い運行停止のあげく、結局廃止されてしまいました。で、どうしようかなあと思って旅行代理店に尋ねたところ「香港−ソウル−某地方都市」のルートが一番安いとのことでした。調べてみると所要時間もそれが一番短そうです。
 当然両区間とも同一の韓国系の航空会社です。私は日系の飛行機会社しか乗ったことがなく、加えてまだまだ英語もおぼつかないので、当然不安もあるのですけれども、ねたになるからいいかな、と今回はそのルートを選択することにしました。
 韓国も旧正月メインの国です。なので、香港−ソウル間は帰省の人たちで大変込み合っていると予想されます。韓国に行ったことはないので、乗り継ぎの間だけですが、その雰囲気を味わってこようと思っています。

2004年1月9日

(TEXT)流出事故

 複数のアドレスにやってきたメールを、一つの受信箱でまとめて受け取れるメールソフトウエアを愛用しています。まとめるのは便利な反面、実は大きな危険がひそんでいたということに年末気付かされました。
 久しぶりに高校のときの部活の面々からメールがやってきました。Toのところに部活のメンバー全員のアドレスが入っている、メーリングリスト状態のものです。で、うっかりさんな私はそれに対しparenthesis_a@yahoo.co.jpで送り返してしまったのです。アットマークの前にそんなへんてこな文字列が入っているのを見たら、もし私だったら、早速検索かけるでしょう。そしてホームページは探し当てられる、と。
 送信後そんな想像が瞬時に頭の中を駆け巡り、かなり錯乱してしまいました。思わずgoogleで「送ったメールを取り消す」と入れて検索したぐらいです。結果、あの、ネチケットというやつですか、「送ったメールを取り消すことはできないので、送る前にしっかり確認しましょう」という箴言というか常識だけしか見つからなかったのですけれども。
 悩んだ挙句、正規のメールアドレスで全く同じ内容を再度送信することにしました。「なんだよ、二通も同じ題名・内容でおくってくるなよ→古いのを削除」というストーリを期待して。
 そんなこともあって今年になってからはアクセス解析を始めてみたり。幸いいまのところ検索エンジンからのご訪問はないようなので、今では、軽く流してくれたに違いないと勝手に楽天的に考えております。

(HK)Japaneseな名前

 地鉄(MTR)で乗り合わせた3歳ぐらいの女の子が「太子」という駅名を一生懸命書いていたので「すごいなあ、もう漢字かあ」と驚いたのですけれど、直後に気付きました。そんな漢字の国からお送りします。
 私の本名は標準日本人のように名字2文字名前2文字ではないので、よくこちらの人から不思議がられます。今日なんかも雑談をしているとその話題になりました。で、その人(私より若い女の人です)はペンを取り、「例えば……」と言いながら2文字×2文字の日本人氏名を書き出したのですが、挙げる例がどうしたわけか「西城秀樹」だったので、おい、なんでそうなるかなあ、とびっくりしました。

2004年1月6日

(HK)吉野家にて

 香港の吉野家には大変お世話になっています。で、このページでも何回か触れているのですが、今日も驚きがあったので記すことにします。
 私が座った席の前方に、きれいな女の人が一人座って、牛丼らしいものを上品に食べていたのです。「らしい」というのは、こちらではそれ以外のメニューも豊富なので。
 それはなかなかに関心を引く光景だったのですが、見続けていると怪しい人になってしまうので、私は食べる合間にちらっちらっと観察していました。そして何回か見ても、やっぱり上品に感じたのです。
 しかしどの辺が上品なのか、すぐには気付きませんでした。ぼーっと、なんだかいいなあ、と思って見ていただけで。彼女はれんげと箸の両方をうまく使って食べていたのです。
 結局、そこで謎が解けました。丼の中から適当なサイズに具とご飯を切り出し、れんげに移し変えて食べるという作業が、ひどく新鮮だったのです。このれんげ、香港の吉野家では注文をすると必ずトレーの上に割り箸と一緒に載ってきます。私なんかはもうぐうたらになってしまったので、丼全部をこのれんげでいただいたりしていたのですが、その瞬間なんだか自分が随分粗野であるように感じられて。
 とどめは味噌スープでした。日本と同じように味噌スープはお椀に盛り付けられています。そこで彼女は当然のようにれんげを入れてすくって飲んでいたのです。参りました。
 吉野家なんだから、日本風に食すことは決して悪くはないんだ、と自分に言い聞かせつつも、目の前で繰り広げられているどことなく高貴な振る舞いのせいで、ちょっとだけ複雑な気分になりました。

(HK)ニュースについて

 日本の吉野家は狂牛病のせいで大変なようです。が、こちらの吉野家では全然何のアナウンスもないですね、いまのところ。
 時事ネタでは、ついにSARS患者がでましたね。患者がでることはまあ予想の範囲内なので、これからの患者数の推移が気になるところです。それから、いつも使っている地下鉄で火災があったなんてyahoo newsではじめて知りました。乗っている時間でも区間でもないのですが。

2004年1月5日

(TEXT)マイ ドキュメントの中で

 PCのファイル整理をしていたら、書きかけの文章をいくつか見かけました。出来のいい悪いはともかく、やっぱり最後まで書かないといけないなと感じたので、下のように仕上げてみました。

太郎……作者(あ) (2004.01.05; 1339文字)


 昼下がりのJR神戸線の車内に年配の男性と男の子がいる。年配のほうは
師匠と呼ばれている。白髪だもんだから髭も当然白くって、でも背筋はわり
とピンとしている年齢不詳の人物だ。電車は京都、大阪、三宮と着実に進ん
でいるけれども、師匠の話は依然同じところをぐるぐると回っている。曰く、
最近少年犯罪や中年男性の自殺が著しく増加していると。そしてそれらは全
て、現代日本人が男らしさを拒絶しているからなのだと。
「だが、太郎、お前は本当の日本男児だ」
 もう一方は太郎と呼ばれている。彼は浅黒い肌と敏捷そうな長い足を持つ
小学校の高学年ぐらいの年頃の男の子だが、実のところ彼の名は太郎ではな
く、また彼は日本語を解するけれども日本人ではなかった。結局のところ彼
にとって師弟ごっこやつまらない説教といったものは、三度の飯というテイ
クに対するギブ、ただそれに過ぎない。
「聞いているか、太郎」
 それでも太郎にはなかなか鋭いところがあり、この問いかけに対してもす
らすらと師匠が納得するような返事をした。師匠は満足げに頷いている。車
内にまもなく舞子駅に到着するというアナウンスが流れた。いよいよ二人の
戦いが始まる。

 ホームに降り立った二人は無言で階段を上り、改札に向かう。太郎は師匠
の言葉を思い出す。自動改札機は人間に飼いならされた猛獣なのだ。その証
拠に、気に食わない客に対しては容赦なく突っかかってくるものなのだ。
 二人はその猛獣たちを横目で見ながら有人改札口へと向かう。師匠と太郎
という珍奇な年齢および人種構成は、周りの人々を疑わせるのに十分なよう
で、駅員はカウンタの窓から顔をのぞかせ、二人が近づくのを待っている。
 突然師匠は駅員にポルトガル語で質問する。いぶかる駅員になおも言葉の
つぶてを投げ続ける。太郎はその隙に師匠の後ろを通って改札を突破し、高
速舞子めがけて走る。駅員が太郎に気づいてなにやら叫ぶと、今度は師匠が
駅員の顔をめがけて切符を叩きつける。二枚の子供初乗り運賃の切符だ。そ
して、太郎の後を追いはじめる。
 JR舞子駅の東側には、明石海峡大橋の巨大な橋桁とそれが支える交通動
脈が見える。太郎は高速舞子の「洲本・徳島行きバス乗り場」という誘導に
従ってエスカレーターを駆け上がる、登りきる。師匠が言うところの科学技
術のかたまり、その上にやってきた。自動改札機とは異なり、ここでは人間
が技術に飼いならされている。自分は違う、と太郎は考える。そして従順に
バスを待っている人々を無視し、高速道路に飛び出していく。周りの車は百
キロ以上の猛スピードだ。轟音を上げて走っている。バスレーンが本線に合
流するところまでやってきた。うまい具合に一番左の車線には車が走ってい
ない。太郎はストライドを大きくしてなおも走り続ける。足の隅々にまで元
気よく血液が流れ始めたのを感じる。
 太郎が振り返ると、ビデオカメラを構えた師匠がバス乗り場のところに見
えた。次の瞬間、師匠は追いかけてきた駅員たちにもみくちゃにされる。太
郎はもう後ろを振り返らず、路肩を走ることに専念する。太郎の正面にはこ
んもりとした緑の淡路島が見え、左右には光を受けて輝く瀬戸内海。こうや
って走り続けていると、景色に加えて何か別のものも見えてくるかもしれな
い。

2004年1月4日

(TEXT)17期『僕のほこり』と『マンホールの家族』について

 『僕のほこり』は、難しいこと考えずにさらっと読む類のものだと思いました。何だか分からないけどシチュエーションを楽しむというか。私には面白く感じられました。でもこの軽さ、こう見えてもかなり書き慣れてないと無理なはず、と書き手として推察します。技を窺わせます。

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 『マンホールの家族』も『僕のほこり』と一緒で、面白系ととらえていいかと。ただ、ええと、作者をよく知っているので、期待が大きすぎたのかもしれません……。これ以降の文章が純粋に作品のみに由来するわけではないことを先に明記しておきます。また、あらさがしに近いような気もします。ご了承ください。決して面白くないわけではなく、知人に読み聞かせたいなあと思う作品でもあるのですが、反面少し気になるところもあるのです。

 まず、母がどうやって寝ているのかがはっきりしないところです。穴の形・位置が私には想像できなかったので、なんかむずむずしました。「僕」と同じように「母」を捉えたいのです。母は逆さづりになっているのか、立っているときと同じ状態なのか、ここが一番の面白いはずなのに……、と残念でした。以上は私だけがそう思ったのかもしれませんが。
 もう一つは最終段落です。あえてべたな落とし方です。これはこれでいいと思います。でも、ひねくれものの私としては、久美子の「首の太さ」が気になったんです……。いや、首が太かったら「爽やか」じゃないという偏見を持っているわけではないのです。それでも中学生っぽい「僕」が気にならない訳はないだろうと。

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 こんなことを言っている私は、かつて人間の言葉を喋る猫の話を書いて票を頂いた人間でもあり、本来こんなことを書ける立場ではないんです。それは分かっております。ただ私はその作品の際に、瑕瑾さんらしき一投票者から次のようなことを書いてもらい、非常に考えさせられました。実際のところ自分はそんなに考えて書いてはいなかったので。このタイプの話に共通して当てはまることではないかと思い、引用します。

’「話す猫」(センセーショナル)を非センセーショナルに叙述する’という違和感(=この作品の面白み。独自世界)

 この作品を読むと異常な事態を平静な意識/視点を通して書くというのがこれほど面白いのだと思わされる。

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 『僕のほこり』も『マンホールの家族』も大変好きなタイプのお話で、『短編』でももっと読みたい! と思っている人間なので、ついこうしていろいろと徒然に取り上げてしまいました。雑文で失礼しました。

(TEXT)もう泣きそうです。

 少し極端ですが、お客様が来ていたといううれしい事実を改めて認識しました。でも男の子——というより、来年十の桁の数字が変わってしまうような大人——なので、それよりも先に更新をします。

2004年1月2日

(TEXT)思い立って

 アクセス解析を始めました。どのような情報を私が得ているかは、下の「忍者アクセス解析」をご覧いただければ分かると思います。悪いことはしていませんので。

2004年1月1日

(HK)恭賀新禧!

 バスは昨日まで歓楽聖誕の表示を引っ張り続けていましたが、さすがに今日からは恭賀新禧と変わりました。しかし私の住まいの近くのショッピングセンターはいまだにツリーを飾っていて、クリスマスソングを流す体たらくぶりでした。そんな香港から力を抜いてお送りします。今年もよろしくお願いします。
 本日は、久しぶりに出かけてみるかと思い立ったので、テーマを「路線バスと開通直後の西鉄を味わう新界への旅」とテレ東さながらに勝手に設定して、わざわざ一番遠くまで行くバスを探し出して乗り込みました。
 新界とは、香港島、九龍とともに「香港」を構成している地域で、九龍半島の北部——中国の深せんと接する——に位置します。イギリスが一番最後に獲得して植民地とした部分なので、新界(New Territories)と呼ばれます。そこに先月、新しい鉄道が延びました。深せんに向かう鉄道が東鉄なので、それに呼応したネーミングとなっています。
 バスの2階席では、道路上にせり出している看板を次々とくぐっていくという香港ならではのダイナミックな車窓の移り変わりを楽しむことができます。そんなわけで今日も2階席に上って前のほうの座席を確保しました。バスが進むにつれて旅人気分が高まってきました。でも正直に言うと、途中急に隣のおじいさんが奇妙で苦しそうなくしゃみを立て続けにしたので、嫌な気分がちょっとだけしました。こういう疑いを抱かせるのはひとえにこの前のSARSが悪いのです。
 幸いそのくしゃみは一時的なものだったので、途中からは海を眺めたり、つり橋をくぐったり、山並みを目で追ったり、楽しみました。
 で、あちこち構内だとかホームだとかが妙にだだっ広いため、やけに閑散としている西鉄に乗って帰ってきました。
 実は着いたところは新興(というほど新しくもない)住宅地らしく、20〜30階建てのマンション(というより、むしろ日本の昔の団地のイメージがしっくりくる)が立ち並んでいるだけのところで。一番大きなショッピングセンターに行っても空きテナントが目立つ状態で、それでも場外馬券売り場のまわりだけはあらゆる年代の男性で埋め尽くされていた、という、まあ、なんともな有様でした。
 しかしちょっとは見るところもありました。途中で自称フリーマーケットなる仮設店舗の集合を見つけ、立ち寄ったのです。そこは日本情緒をちょっと意識したもので、入り口で着物と思しき格好をした女の子がチラシを配っていました。着物はど派手な金色で、絶対に日本では見ないような類のものでしたが。
 中はそれなりに混雑していて、日本情緒ゆえか、金魚すくいが行われていました。やり方も同じです。そんなのをちょっとほほえましく見ていた時、ふと横に目をやると、もっと大勢の人が金魚すくいの変種みたいなものをやっているのに気付きました。海老つりでした。
 でかい水槽に10cm近い大きさの海老がたくさん放られていて、水槽を取り囲んだ人たちはおもちゃのようなつり仕掛けでそれを狙っています。金魚すくいより人々の気合が違うように感じられました。それはおそらく、金魚とは違って捕まえた海老は食べられる(「られる」は受身でもあり可能でもあり)ものであるからでしょう。事実、海老たちは即座にビニール袋に入れられていました。当然、そこに水は入っていませんでした。