『僕のほこり』は、難しいこと考えずにさらっと読む類のものだと思いました。何だか分からないけどシチュエーションを楽しむというか。私には面白く感じられました。でもこの軽さ、こう見えてもかなり書き慣れてないと無理なはず、と書き手として推察します。技を窺わせます。
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『マンホールの家族』も『僕のほこり』と一緒で、面白系ととらえていいかと。ただ、ええと、作者をよく知っているので、期待が大きすぎたのかもしれません……。これ以降の文章が純粋に作品のみに由来するわけではないことを先に明記しておきます。また、あらさがしに近いような気もします。ご了承ください。決して面白くないわけではなく、知人に読み聞かせたいなあと思う作品でもあるのですが、反面少し気になるところもあるのです。
まず、母がどうやって寝ているのかがはっきりしないところです。穴の形・位置が私には想像できなかったので、なんかむずむずしました。「僕」と同じように「母」を捉えたいのです。母は逆さづりになっているのか、立っているときと同じ状態なのか、ここが一番の面白いはずなのに……、と残念でした。以上は私だけがそう思ったのかもしれませんが。
もう一つは最終段落です。あえてべたな落とし方です。これはこれでいいと思います。でも、ひねくれものの私としては、久美子の「首の太さ」が気になったんです……。いや、首が太かったら「爽やか」じゃないという偏見を持っているわけではないのです。それでも中学生っぽい「僕」が気にならない訳はないだろうと。
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こんなことを言っている私は、かつて人間の言葉を喋る猫の話を書いて票を頂いた人間でもあり、本来こんなことを書ける立場ではないんです。それは分かっております。ただ私はその作品の際に、瑕瑾さんらしき一投票者から次のようなことを書いてもらい、非常に考えさせられました。実際のところ自分はそんなに考えて書いてはいなかったので。このタイプの話に共通して当てはまることではないかと思い、引用します。
’「話す猫」(センセーショナル)を非センセーショナルに叙述する’という違和感(=この作品の面白み。独自世界)
この作品を読むと異常な事態を平静な意識/視点を通して書くというのがこれほど面白いのだと思わされる。
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『僕のほこり』も『マンホールの家族』も大変好きなタイプのお話で、『短編』でももっと読みたい! と思っている人間なので、ついこうしていろいろと徒然に取り上げてしまいました。雑文で失礼しました。
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