2005年3月30日

(HK)捕捉される。

 夜遅く、会社から帰ろうと止まっているミニバスに乗りました。わざわざ後ろのほうで座席を確保してくつろいでいると、後から乗り込んできた見知らぬ人が私にジャパニーズなお辞儀をしてきて。一瞬戸惑ったのですが、向こうから、
「この前お会いしましたよね」
 と話しかけられたので、そこで、ああ隣の日系企業の方ですか、と納得したのです。

 それにしても、食堂のメニューの前で名刺交換しただけの人の顔を覚えているなんて、と驚いてしまいました。香港の若者の場合、中国人男性と日本人男性であまり顔の違いはなく(女の人の顔は異なるような気がします)、服装も同じ仕事だと自然と似てくるので、自分はもう完全に同化していると思っていたのですが。

2005年3月29日

(HK)ケータイ哀歌

 日本のケータイって使ったことないから分からないんですけれども、何でも、最近は香港のそれと同じようになってきたそうで。

 香港の場合、ケータイはどこまでいっても電話のための箱で、自分の電話番号やアドレス帳といった個人情報は全てシムカードと呼ばれる小さいカードに収納されています。ご存知の人も多いと思います――電池パックの裏に装着する、あれです。
 なので、シムカードを入れ替えさえすれば機種変更が簡単にできるのです。例えば電話機をたくさん揃えて毎日気分でとっかえひっかえするというのも、それがどれだけ意味あることかは別として、趣味として可能です。
 このシムカード方式(正式名称は分かりませんが)を最近では日本の携帯電話会社(キャリア)も採用している、のですよね?

 ところで、ここでポイントとなるのは『日本のケータイが諸外国に比べて異様に安い』というところです。当然それはキャリアが契約獲得のツールとして新機種を位置付けていて、購入に際していくらかの補助金を出している――それはあとから通話料として回収される(できると考えている)――からなのですが。

 この低価格及び斬新な機能という日本のケータイ事情が香港では垂涎の的です。そして今、方式が統一されているとなれば、『日本でケータイを買って(その後に電話契約を適当に解約して)、香港のシムカードを入れて使えばいいんじゃん』ということになります。実際にはさらにひと手間必要なので、なかなか誰でもそのようにできるわけではないようです。

 この行為、キャリアから見ると補助金泥棒以外の何物でもないのですが、でも、過当競争の結果、真っ当な工業製品が1円とかで売られているのを見てしまうと、エンジニアとしては泣けてくるんです――どちらかというと日本のキャリアがバチあたりなんです!
 だって、結構な画素を積んでいるデジカメだったりするんですよ、見方を変えれば。

2005年3月26日

(HK)焦土作戦遂行

 ライブドアとフジテレビのごたごたについて何を語るのかと思えば、
「ライブドアっていうのは、ヤフーみたいなもんですね」
「ほら、インターネット検索するでしょう、そうそう、googleもそうですけど」
「それだけじゃなくってライブドアは無料のプロバイダーもやっているんですよ」
 なんて、おいおい、真顔で得意げに説明することじゃないでしょう! この前の日本人飲み会の一コマです。ちっ、おやじどもめ。そこ!! 頷いている場合じゃない!!! と心の中で毒ついてました。
 そりゃあ、香港にいて日本情報にちょっと疎くなっているかもしれませんが、単に(あっているかどうかも定かではない)知識をひけらかして自己満足すんじゃないぞ、と。それからどう話題を広げればいいのやら。

 困った私は、
「ポイズンビルだとかホワイトナイトだとか、後なんでしたっけ、そういうカタガナがたくさん出てきましたよね、ああいうのって絶対楽しんでますよね、当事者たち」
「『こうなったら、ポイズンビルしかない』って言いつつ、その雰囲気に酔ったりしてるんですよ、きっと」
 などと、振ってみたのですが、おやじたちは曖昧に笑うばかりで。どうやら不発でした。

 仕方がないから検索です。やっぱりクラウンジュエルでよかったのか……。

2005年3月22日

(HK)日本人との接触

 店の入り口の壁には色々とメニューが掛かっています。客はそこで何にするのかを決めた後、レジへと向かいます。実際の注文はレジにて行うのです。
 つまりこのシステムには、(1)自分が食べたいものを中文で記憶する (2)メニューを広東語で発音する という、外国人には厳しい二つのハードルが内在しているのです。それで大抵、メニューにあり注文も楽な『カレー』だとか『チャーシュー飯』だとかに走ってしまうのです。

 今日もその店のメニューの前で、日本人の同僚と二人熟考していました。一週間もいると大体の料理は挑戦済みだったので。
「どれにする?」
「これはこの前食べたし」
 なんてしゃべっていたのです。すると、突然後ろから、
「日本の方ですよね」
 と話しかけられました、日本語で。

 話を伺ってみると、隣のビルに入っている日系企業の方でした。なんでも私たちよりも前に、この地域で働き始めたそうです。そしてその方たちが言うには、今までここらに日本人は全くいなかったとのことで。

 だからと言って、店の前で突然名刺交換を始めるのはどうかと思うのです。いやそれとも、そういった行為は常識であり、考えも及ばなかったのは私の社会人スキルの低さゆえ、なのでしょうか。見たことのあるロゴが彼らの名刺にしっかりと載っていました。

2005年3月21日

(TEXT)投稿はまだです。

 『短編』書き上げました。
 で、気付いたのですが、もしや日本の皆様は月曜日お休みなのではありませんか? え、私ですか。休みなんてないです。正確には香港では来週イースター関係の休みがあるのですが、会社が中国本土の暦を適宜採用するので、吹っ飛びました……。

2005年3月17日

(HK)中国本土からの電話

 何度か書いているのでご存知の方もいると思うのですが、香港の人々は普段広東語で話をしています。それに対して、中国本土では別の言葉(普通話)を共通に使っています。
 この普通話、履歴書上ではどの香港の人も「並に」話せることになっていますが、あくまで就職用、修飾用にそう書いているだけで、実際のところ大して話せないようです。英語に対する苦手意識を未だ払拭できていない私が言うのもなんですが。


 今日、電話が鳴ったので出ようとしたところ、隣の人が代わりに取ってくれました。しばらく彼女の様子をうかがっていたところ、どうも普段とは違う言葉を使っているようです。やがて、電話番号を書き取っているのか、数字を読み上げ始めました。そこで普通話だと確認できました。普通話の一、二、三、四は日本の麻雀用語とほぼ同じです。
(普)イー、アー、サン、スー
(広)ヤッ、イー、サン、セイ
 やっぱり普通話は苦手なためか、彼女は何度も何度も復唱しています。


 かなり長い時間話した後、彼女は受話器を置きました。やつれた様子の彼女に、
「Mandarin(普通話)?」
 と、私は聞いてみました。中国本土からかかってくることなんてめったにないので(たいていは配慮して英語を使ってくれるので)。
 すると、堰を切ったように彼女はしゃべりだしたのです。もう全然わかんない~、というような親しみ口調の言葉だと思うのですが、でも、混乱しきった彼女の口からは広東語だけが飛び出してきます。
 ひとしきり騒いだ後、ようやく私が日本人であることを思い出してくれたようで、
「Sorry...」
 と、英語にスイッチしてくれました。


 ちなみに、「Sorry」や「thank you」だとかの語尾に、『{口拉}』(らー)をつけると香港人っぽくなるのでおすすめです。『さんきゅーらー』といった感じで。そうやって香港の英語の真似をすると、親密度がアップしたような気分になれます。

2005年3月15日

(HK)初めての店では、とりあえず凍鴛鴦

 『毎日違ったお店で昼食を食べられる』ということが実はとても贅沢なことだったのだと、改めて感じさせられました。新しい職場の近くにはまともな(普段使いできる)店が一軒しかないのです。
 日本で学生やったり働いたりしていた時は、ずっと学食だの社食だのを愛用していたので、今回それに戻っただけなのですが。でも人間贅沢を知ってしまうと、昔には帰れないもので。

 カフェテリア形式のその店の、先払いのレジのところで、今日私は勇気を出して凍鴛鴦をオーダーしてみました。というのも、こういう効率重視の店では拒絶されることがあるので。
 幸い、大丈夫だったらしく、店員さんはレシートに『C央』と書いてくれました。Cold鴛鴦の略称のようです。それを持って私はトレーをレールの上で引きずりながら飲み物のコーナーへと向かいました。
 ところが、そこで私は見てしまったのです。黒い液体と茶色い液体と白い液体を大雑把に混ぜて凍鴛鴦を作っているところを! 一口飲んでみると、既にまったりとした甘さを誇っていました……。
 座っているところに注文を取りに来てくれるような店だったら、必ず『凍鴛鴦・少甜』と甘さ控えめをオーダーするのに……。黒いのと茶色いのと白いの、どれかがデフォルトで甘いんです、多分。あの製法じゃあ、きっと少甜にするのは無理で、というより、実際のところ凍鴛鴦がオーダーできたことに感謝するべきだったのかもしれなく。

 細かいことだっていうのは分かっているのですが、また個人的な思い込みもかなり入っていますが、香港生活では食事は大切なんです!

2005年3月13日

(HK)約一年半後の気分一新

 延び延びになっていた会社の移転がついに実施され、ぼろぼろのビルから外見と眺望だけは素晴らしい建物へと勤務場所が変わりました。土曜日に引越しをすませたばかりなので、まだ中身が本当にいい=問題がないかどうかは確認しきっていません。容易には信じない、これは私が香港で学んだことです。
 個人的にはまたまたいろいろな発見があるのではないかと、前向きにとらえています。実は、そうでも思わないと通勤時間が長くなるネガティブな面だけが目に入ってしまうので。毎日30分も早く起きられるだろうか……。

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 結局今週いっぱい熱だとか声が出ないだとかの症状のため薬を飲んでいました。長引いたのは、ほこりの中で引越作業していたからかもしれません。

2005年3月8日

(HK)風邪が治ったと思ったら

 お医者さんに3種類も出してもらった薬は大変よく効いて、鼻水も止まりのどの痛みもなくなったのですが、今日の昼近くになって突然声が出なく、いや、出ることは出るけれどもひどくかすれてしまうようになりました。香港の薬はきつい、という噂を聞くので根拠なく薬を疑ってしまいますが、一方、きちんと診察してくれた先生のことは信じたいし……。

 日本語を話すのもきついのだから、英語を話すのはそれはもう大変でした。
 すいません、もっと大変なのはそれを聞いてくれた人々でした。

2005年3月6日

(TEXT)ぼうけんのたび (作者: (あ))


 庄子のキスはいやらしかった。いや、キスとは本来そういうもので、唇が重
なってしまった以上、それが今までの関係――お互いにケータイの番号を教え
あったことや、それから発展して彼女の家へと招待されたこと――よりも重大
な意味を持つことは明らかだった。庄子はずっと目をつぶっていたけれど、舌
だけは機敏に動かしていた。僕の舌を求めるように。
 ためらいがなかったといえば嘘になる。二人は立った状態でキスしていて、
僕は左手を庄子の腰に回していた。右手は彼女の頬を触っていたのだが、意を
決して胸へと転進させる。するとそこで僕は思いがけない弾力を感じた。
 けれども次の瞬間、庄子は唇と体を逃げるように離したのだ。
「ねえ、佐々木、今どういう状況か分かってる?」
 こちらを見つめながら庄子が問う。僕は答える。
「庄子の家に呼ばれて、庄子とキスして、庄子の胸を触ったらノーブラだっ
た」
「大事なところが間違っているんだけど。もしくはわざと忘れている? 私の
名字はもう庄子ではなくて、早坂。さっき説明したでしょう」
 なぜか僕らは名字で呼び合っている。
 元・庄子、現・早坂はソファーに座るよう僕を促した。その後、避難させて
おいたトレーをコーヒーテーブルへと運んだ。実のところ、トレーを持ってキ
ッチンから出てきた早坂に、僕がキスを仕掛けたのだった。
「少しさめちゃったかもしれないけど」
 僕の向かいに座って早坂は言う。
「いや、まあ……。いただきます」
 テーブルの上に置かれたばかりのカップを、僕は手に取る。独特の香り。
アールグレイ。
「佐々木、一時期紅茶に凝ってたなあ、と思って」
 いやいや、あれは女子――特に庄子――にモテたくてやっていただけで。恋
愛経験のない男子高校生の恥ずかしい所業だから、今更蒸し返さないでいただ
きたい。話題を変えたかったけれど、どう持って行ったらいいか分からなかっ
たので、僕は天井を向いて黙ってゆっくりと飲み続けた。やがておもむろにカ
ップを下げながら早坂の様子をうかがうと、早坂もまさに同じ体勢でこちらを
見ている!
「ねえ、佐々木、どうするの、これから?」
 カップの中身が少なくなってきたころ、再び早坂が問う。冷静に飲んでいる
場合ではなく、まして茶葉について語る局面ではないことも歴然としている。
「さあ、どうしようか」
「ハッキリ!」
 とても見事な高校時代の英語教師のモノマネだったが、それに感心してはい
られない。
「カオリとセックス、したい」
 努めて平然と言ってみた。今の僕の姿はどう映っているだろう?
「私も」
 けれども早坂カオリはハッキリとは言わなかった。ちっ、人妻め。

(TEXT)『短編』第31期と雑感

 今読み直すと、この記事、『短編』第31期にはほとんど触れていないような気がしますが……。

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 近頃「ゲームばかりしているので、現実と虚構との区別ができない」と叫ばれています。ところが実際は、ゲームが有識者や年寄りにとって理解不能なため敵視されているのに過ぎない、と考えられます。
 一方小説はというと、「活字離れ」とかいわれる現状下、有識者や年寄りから推奨されています。だからといって小説が常に「正しい」かというと、おそらくそんなことはなく。
 小説もゲームと同等、もしくはそれ以上に若者に対して影響を及ぼしうるのです。良いものは人間を成長させ、悪いものは邪な心を巣くわせる。ただそこで現実に心を悪に支配されるかどうかは、当然別問題でしょう。
 とまあ、誰かの受け売りのようなことをえらそうに書きましたが、31期でお勧めするのは狂気とか破滅とかをきちんと描写している次の二つです。万人に好まれがちな「感じのいいもの」「楽しいもの」を拒絶している作品です。

プルシャに会いに行く るるるぶ☆どっぐちゃん さん
暗い日曜日 曠野反次郎 さん

 一方、『プルシャ』には「美しさ」、『暗い日曜日』には「弱さ」があります。こういう訴えかける何かがある作品こそ評価されるべきだと私は思います。


 ところで、梅田望夫さんが引用している文章をさらに引用します。(現在、梅田さんの元記事はプライベートモードになっていて見ることはできませんでした)

■ 車谷長吉「文士の魂」
「日本の戦後の大衆文学を領導してきたのは、山本周五郎、松本清張、司馬遼太郎の三人だった。」
「周五郎の世界は基本的に諦めと辛苦の生活の先に、一筋の光を見るものである。」
「松本清張の世界は、才能がありながら、学歴がないが故に、世の底に埋もれて生きざるを得ない人達の、怨みと憤りの文学である。」
「周五郎の主人公たちが諦めの底に一筋の光を見出して行くのに反し、清張の主人公たちは自らの運命と闘いながら、絶望と破滅の淵へ沈んで行く。」
「無一物になったころ、清張をくり返し読んだ。いや「慰め」を求めて読まないではいられなかった。」
「司馬の小説は日本歴史の、あるいは日本社会の指導層にある人々を描いたものである。」
「私は司馬文学のそういう臭みを、読む前から嗅ぎ取っていた。だから上司や同僚からいくら「お前も読め。」と言われても、頑として読まなかった。」
「世の大衆はそれぞれに己れの心ざまの色に添うて、これら三人の文学を読んできた。」


 例えば「司馬遼太郎ばかり読んでいたので、会社の理不尽な命令に逆らえなくなってしまった」という感じでしょうか。

 私はエンジニアですし、勤務している会社は製造業なので想像の域を出ないのですが、また過去の話なのかもしれませんが、例えば金融業とかだと、幹部候補社員の出世コースとして香港駐在が位置付けられていたようです。そういうところの「デキる社員」が多いせいでしょう、香港そごうの旭屋書店(当地最大の日本語本屋)には、司馬遼太郎文庫本コーナーが設けられています。遠目から見ただけで分かります――棚が黄色に染まっているのです! 補充にかかる日数を考慮してか、「竜馬がゆく」とか「坂の上の雲」だとか、どの巻も二、三冊ずつ置いてあるし……。車谷の言葉を思い出し、「ご苦労さまです」と感じました。

2005年3月5日

(HK)風邪

 『短編』に風邪の話を投稿したとたんに、本当に風邪になってしまいました。かなり具合が悪かったので、昨日の夜はあきるほど寝ました。そして今朝、近所の病院に行きました。そこの先生はなぜか片言の日本語が話せます。体の不具合を表す英単語なんて知らないので、「だるい」とか「鼻水」とか分かってもらえるのは助かります。

 ところが病院で熱を測ったところ、37度もありませんでした。私の場合、いつもそういう感じで。つまり、熱がないことは喜ばしいことなのだけれども、「たいした熱でもないのに、大げさな奴」と思われることを心配してしまったり。そんな体面を気にしてどうする、とよく家族には言われるのですが。

 風邪の友といえば、電解質補充飲料「寶礦力水特」でしょう(寶=宝の元の字)。中国でライセンス生産されているようです。おなじみの青いラベルの1.5リットルのペットボトルを買ってきてひたすら飲んでいます。

2005年3月4日

(HK)ひな祭り

 娘がさんざん楽しみにしていたはずなのに、うっかりしていて電話しなかっただめな父親です。娘に『ぼんぼり』呼ばわりされた話を、同僚(香港人)に話したところ「あなたが娘を明るく照らしている、ということではないのか」とフォローされました。お気持ちはありがたいですが、それは無理ありありです。大体3歳の子にそんな高度な比喩が使えるわけもなく。

 節句について説明しようと四苦八苦して検索したところ、節句は計五つある(しかない)ことが分かりました。とりあえず『端午の節句』は現代中国にも残っているようです。

 

2005年3月3日

(HK)納税します。

 確か人生ゲームかモノポリーかいただきストリートか、そういったゲームには「税金を払う」みたいなマスがます目があって、止まると全資産の何%かが持って行かれたような記憶があります。香港の税金もそれらと同じぐらい簡単です。

 まず給料明細からして単純なのです。契約書にあるのと同じ金額がぽつりと書かれています。銀行の口座で確認すれば事足りるので、最近は明細を見なくなりました。

 労働ビザで働いている外国人は大抵固定資産などないので、年間の収入だけが課税されます。一年分全部足し合わせて、それから控除を引いて、結果残った金額に税率を適用すればおしまいです。

 とまあ、余裕な態度をかましていますけれども。
 突然どさどさどさっと書類が送られてきた時には、さっぱり何が何だか分からなくって。ことがことだけに、誰かに相談するというのも気がひけて。放っておいたので追徴課税になりかけたことは秘密です。

2005年3月2日

(HK)二月はあっという間に過ぎて行き。

 一年ぶりに中国に日帰り出張でした。この前は会社の他の人と一緒だったので、今回は『はじめてのどんがん(地名)』でした。気分的にひらがなで。もう大人なので誰もほめてはくれませんが。

 往復で計3時間近くバスに揺られました。当地に着いてもミーティング一つに出ただけでした。労働的には香港にいるときよりもずっと楽なはずですが、今結構だるいです。とはいえ、こうやって更新できるということは、疲れていない証拠であったり。

 やっぱり中国は香港とは違う『国』です。車は反対を走っているし(香港は日本と同じ)、漢字は略されていて読めないし、至る所にお巡りさんがいる(ような気がした)し。話には聞いていたのですが、中国はまさに車ブームのようで、幹線道路にはピカピカの世界各国のディーラーが建ち並んでいました。広州本田だとか、上海GMだとか、中国の地名がついているところがポイントです。


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 日曜日に『さんぱち』薯片を一袋買いました。会社でみんなで食べたところ、それなりに大丈夫な味だったので、安心してさらに二袋買いました。
 けれども二袋を一人で空けるのは健康に悪そうです。やっぱり会社に持っていって、今回は日本人の後輩に押し付けたいと思います。


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 北村さんの徒読経由で結城浩の日記に通うようになって、そしてGmailのアカウントをもらいました。
 結城さんはソフトウェアに造詣が深かったり、クリスチャンであったりしますが、私は文章を書く心がけが一押しです。海坂さんから一言いただく前に、こういうものの一つでも探して読んでおくのがいいのではないかと。えらそうですいませんが。
(何をもって優しいと定義するかはそれぞれですが、私は海坂さんは優しいと思います)