2005年4月25日

(HK)弁明など

 予定通りに気恥ずかしくなってきたので、昨日の文章、早々に一段押し下げます。

 昨日のバーベキューでは、まず一人一本ずつ金串を持ちました。各自好きなアイテムを刺して炭火の上にかざし、じっくりと焼けるのを待ちます。典型例ではソーセージ、加えて冷凍シュウマイ、えび団子といったものもあぶられていました。やがてそれらの表面にいい感じに焼き色がついてきます。期待も膨らみます……ところが、その瞬間、あろうことか香港人は焼き色の上に蜂蜜を塗りたくるのです!

 香港人の味覚は違うと知っていたので、いくら蜂蜜を勧められても私はやんわりと断っていました。せっかくなので自分の好きなように食べたかったですし。けれども、辛抱強く串をくるくる回したりして待っていると、上方に位置する他人の串から、加熱されて粘度の低くなった蜂蜜が滴り落ちてくるではありませんか!

 まあ、結局そんな串を食べながら缶ビールを飲んでいました。味覚の違いはここにもあらわれ――酒類を飲むのは日本人だけでした。その味付けの串を食べながら、ダイエット・コーラって……さっぱり理解できません。ここは断然酒でしょう! あっ、これ、もう空か。じゃ、もう一本開けて……。

 なんて感じで、昨日はちょっと気分良くなるぐらいまで久しぶりに酔いました。そして勢いで、
「あの山の頂上まで行ってくる」
 なんて口走って、サンダルのまま挑戦したら藪の中で大変な目に遭いました。そして船に乗ったら、今度はずいぶんと自己陶酔してしまったのです。

2005年4月24日

(HK)複雑な日曜日

 同じような仕事をしていて、昼ご飯なんかも一緒に食べている、近い歳の日本人が日本へ帰ってしまいます。転職するとのことで。

 私自身転職を経験しているので、『同期』のような職場の人間関係というものは人為的なものである以上、ずっと続くものではないのだ、と承知しています。また、転職していったからといって、つながりが全くなくなるわけでもないのです。一年、二年のスパンでは会えないかもしれないですが、そのうちきっと機会があるでしょう。私は万事そんな感じで考えています。

 今日は送別会のようなのりで、船を借りてクルージングとやらを企画しました。一緒に働いている香港人のエンジニアも呼びました。無人島に渡って砂浜でバーベキューをするなんていう、今日本にいる家族には申し訳ないような娯楽をしました。費用はいつものアクティビティ――最高人民と日本食に行き、そのあと二次会で女の人が横に座ってお酒を作ってくれるようなカラオケに行く――と同じぐらいで済みました。今日のほうがよっぽどいい使い方でしょう。


 船がビーチを離れ香港の街へと戻っていく間、ぼんやりと景色を眺めていたのです。

 絶え間なくエンジン音がしています。明らかに日本とは違う、黄色っぽく明るい色彩をもつ岩肌が見えます。
 さっきよりも日が傾いてきています。けれども湿度が高いせいか空気は未だ生温く、それは香港の本気の夏には到底及ばずながら、南にいるのだということを思い出させてくれます。自分は今、こんなところにいるんだな、なんて。

 すると急に少し寂しくなりました。一人が日本に戻ってしまう、ということもそうですが、自分も後どれくらい香港にいる、いれるんだろう、などと考え始めてしまったので。加えてもう一つ、あることに気付きました。

 唐突ですがその時、私は『書く力』が欲しくてたまらなくなったのです。というのも、きっとだめな自分は『寂しかったことを忘れてしまう』――実はそれが『気付いたこと』――そしてそれがいやならば、思ったこと感じたことを表現しておかなければならない、と考えるに至ったので。

 プラスチックの白い椅子に座り海風を受けながら景色を眺めていた、そして色々と考えをめぐらした2005年4月24日でした。

2005年4月23日

(HK)平穏な土曜日

 短編、投票していただいた方ありがとうございました。第33期(4月26日発表)も、やっぱり相変わらずな作品を投稿していますので、よろしければどうぞ。私個人としては、第33期参加者の顔ぶれを見て圧倒されています。


 久遠さん(リンクはここでいいですか)に心配されたのですが、やっぱり全く何もないですね、香港では。
 日本語のyahoo! newsからいくつか辿りました。どちらかというと香港は、反日というより日本人観光客の減少を心配しているようです。
 本日土曜日、今のところ今週はデモは起こっていないようです。次は五月四日(五四運動に関係して)でしょう、もしあるとすれば。

 ……思い出したのですが、その週、日本はゴールデンウィーク、中国本土もメーデーがらみで大型休暇、でも香港は休みが一日しかないのでした。

2005年4月20日

(HK)いきなり!

 唐突に夏が始まったことを思い知らされたのです。

 Tシャツの上に長袖のシャツを着て――つまり上着として二枚着て会社に行っています。昨日今日と香港は良く晴れていて、朝ミニバスを待っている時など、袖まくったほうがいいかなあ、なんて考えていました。

 バス停にてしばらくそんな感じでぼんやりしていたのですが、突然あることに気付きました。そこらはやけに騒々しかったのですが……もしかして……これって……何と、セミの声がしていたのです。おいおい、まだ四月ですよ。
 会社が移転したため田舎度がアップしていることを、あらためて認識しました。

 ええと、反日についてちょっとだけ心配していたのですが、私のところでは今週、今までのところ全く何もありません。他のところはどうなんでしょう?

2005年4月17日

(HK)どうしようもなく

 Yahoo!ニュースに昨夜、
中国広東省東莞市の日系企業の電子部品工場で16日、中国人労働者数千人による大規模なストライキが行われた。
と書いてあったので、おいおい、どこだよ、うちの会社じゃないだろうなあと心配していたのです。『東莞』『日系』『電子部品』全部一致するので。うちの会社でも先週緊急に、工場の日本人に対して週末香港に戻るよう命令が出ていたので。

 結局今朝、香港のYahoo!新聞を調べて別の日本企業――一般人にはなじみが薄いかもしれませんが、業界内だとわりと著名な会社――だと判明しました。

 でも、一連の事件、やっぱりよく分からないことだらけです。今いる会社の若手で話してみても結論は出ませんでした。上のほうにいる偉い日本人(通称・最高人民)の考えが知りたいところです。

2005年4月13日

(HK)出張終了

 出張にかこつけて息子のお宮参りと娘の幼稚園入園式もこなして、本日香港に戻ってきました。東北は寒かったです。

 タイミングがタイミングだけに、会う人全てに、
「中国って大丈夫なの? 怖いねえ」
 と聞かれました。
 けれども正直言って、私はこの問いにどう答えたらいいのか分かりません。インターネットで片っ端からクリックしていろんな記事を読みましたけれども。

 「好き」の対義語は「嫌い」じゃなくて「無関心」

 上に挙げた句――どこかで聞いたような……――が、何となく思い出されて。

2005年4月7日

(HK)出張決定

 エンジニアをやっていてよかったなと思うことの一つに、服装にお金がかからない、というのがあります。結局作業服に着替えるので、会社の行き帰りは好きな格好――適当なジーンズとシャツで十分です。結果的に可処分所得が増大します。

 一応社会人ですから、スーツも持っています。けれども、それを着ることなんて滅多にないので、その少ない機会にはコスプレ気分になります。いや、ええと、コスプレなんてしたことがないんですけど、そういう趣味の人たちが味わう感覚が分かったような気になります。ちょっと妄想できます。
(あ) (最新のケータイを用いて)「課長、例のプロジェクト、取引先からGOが出ました!!」
課長  「よくやった。山中君、至急課のみんなを集めてくれ」
山中  「……すごいわ、(あ)さん」
 ここで山中君は美人秘書です。
 (『美人秘書』っていう単語、いざ使ってみるとずいぶん陳腐なことに気付かされました)

 そんな私が、東京――それも都庁の近く――に出張で行くことになってしまいました。元来田舎者なので、あのあたりは初めての訪問になります。コスプレ気分も最高潮に高まります。

 まあ、私なんかはスーツを着慣れていないので、実際のところ周りから『やり手ビジネスマン』のように見られることなんてありえないでしょう――せいぜい就職活動中の老け顔の大学生と受け取られるのが相当だろうと。

2005年4月5日

(HK)今週の出来事

 こんばんは。いきなりですが香港は明日4/5は清明節で休みです。先祖の供養をする大事な日らしいので、3/25の金曜と3/28の月曜――両方ともイースターに関係する祝日でしたが――を吹っ飛ばして勤務日とした会社も、明日だけはきちんと休みにしています。日本の皆様が働いているかと思うと、すいません、ちょっと優越感。

 今、勤務先から十人近くの香港の若いエンジニアが日本に出張しています。大体、日本への出張というと香港駐在の日本人が行くことが多いですし、そもそも、香港のエンジニアが日本に行くよりは日本人が香港に来ることのほうが圧倒的に多いです。ですから、彼ら彼女らにとって日本に行くというのは本当に貴重な経験だと思います。
 一週間いるらしいので、まあ今回は仕事ですけれども、それでも十分楽しんできてもらいたいと心から思います。

 日本の皆様も、怪しい外国語を話すいい歳した若者たちが、

ぎゃあぎゃあ騒ぎながら新幹線の中でお互いの写真を撮り合っていたり、
土産物屋で群れてキャラクターグッズを買い求めていたり、
食事が高すぎると不平を言っていたりしても、

 暖かく見守っていただければ幸いです。

 加えて、ぱっと桜でも咲いてくれれば、文句なしなんですが。

2005年4月4日

(HK)無用心な日本語

 昼ごはんを食べようと思って、適当な格好で部屋を出ました。エレベーターに乗り込むと中には先客の男女がいました。何か話しています。聞き耳をたてるつもりはなかったのですが、なにぶん狭い空間ですし――おまけに日本語だったので、結果的にその人たちのプライベートな生活がうかがえてしまったのです。
 私が日本人だということはバレておらず、また私が恐縮する必要も全くないのですが、なんとなくいたたまれなくなりました。そこで、エレベーターがグラウンド・フロアについた途端、私は彼らよりも先んじて外へと向かったのです。

 まわりの人が日本語を解さないだろう、と思い込んでいるためでしょう、かなり私的な内容や企業秘密っぽいことを雑踏の中で大声で話してしまう日本人をたびたび見受けます。きっと一種の開放感があるのではないかと推察します、そういう行為には。

 ところで、私の住まいには管理人さんがいます。彼にはいつもお世話になっています。私は朝と晩きちんとあいさつしています。
 で、彼は今日もにこやかに扉を開けながら、
「こんにちは」
 と私に日本語で語りかけるのです。私は後ろにいる男女の驚きの視線を感じつつ、平穏を装ってあいさつを返したのでした。

2005年4月2日

(HK)外でインターネットしてみる。

 会社の近くにある、ほとんど唯一といっていい食堂は、いつも何を食べようか迷ってしまうほどにメニューが貧困なのですが、なぜかワイヤレスLANが使えることがわかりました。
 で、今、8.5HK$の紙コップのコーヒーを飲みながらぼんやりとネットにつないでいます。

 香港の部屋ではモデムでつないでいます。なので、ワイヤレスLAN――帯域の広い線でつないだら、さぞかし高速にインターネットができて快適だろうなと思っていたのですが、いつものページを訪問するぶんには正直あまり変わりがありませんでした。かといって特に行きたいところもなくて。ここは広い食堂で、遠くに数人座っているのみで、自分の周りには誰もいないのですが、どことなく落ち着かないのです。

 次の時までにどこに行くか考えておきます。こういうことは予習が大切です。

2005年4月1日

(HK)七年生突入

 ここは香港なので、特に四月一日から何かが始まる、なんてことはありません。でも振り返るとちょうど六年前社会人を始めたのです。研究室の教授のコネでろくに就職活動もせずに入った初めの会社には、結局一年ちょっとしかいませんでした。
 そして昔思いもかけなかった場所に、今います。

 いや、後ろを向いていちゃだめなんだ。