2006年12月23日

(HK)中国出張中の出来事

 中国本土にある関連会社の工場に行きました。そこには最先端の機器が導入されていて、また製品サンプルも多く置いてあるところなので、昨年何回かお世話になったのです。


 先週、一年ぶりぐらいに訪れてみると、そこの周りもやはり様変わりしていました。普段は香港にいるので中国の事情はよくわかりません。ただ、私の知っている中国に限って言うと、よく用途のわからない、おそらく農地ではないただの荒地みたいなところに突然道路が延びたり、でかい建物が現れたりします。そういう土地がどれくらいの広さなのかはわかりませんが、とりあえず今のところ、限界に達してはいないようです。荒地に建った工場の裏にも、さらにまだ荒地が残っているので。


 ところで私は普通の海外旅行をしたことがありません。全部仕事がらみで海外に行っています。だから、常に外国の表面しか見ていないのかもしれない、と考えることがあります。


 仕事自体は午前中で終わる簡単なものでした。そこで、夕方の会社のシャトルバスを待たずに、自力で帰ることにしました。会社に呼んでもらった安全なタクシーでバスターミナルに向かい、深セン行きの切符を買いました。ちょうど昼の12時ぐらいでした。
 バスが出るまで時間があったので、何か軽く食べようかとターミナルのあたりを少し歩いてみました。けれども、入るのに躊躇するような店ばかりでした。それに、遠くまで足を延ばすのはなんとなく危険な気がして、結局ターミナルに戻ることにしたのです。
 こういった行動が若い、例えば大学生の観光とは違うのかな、と思います。バッグには大切なサンプルやノートパソコンが入っているし、色々怖い情報は耳にしているし、そもそもあちこち見てやろうという好奇心がないのです。


 一回りして来ると、深セン行きのバスが止まっていました。もう乗り込んでしまおうと思っていると、近くにいる小さい子供たちに目が留まりました。小学生ぐらいの男の子と女の子、それより小さい女の子です。ぼさぼさの頭に茶色い顔をしていて、それは日焼けなのか風呂に入れずに汚れているのか分かりませんが、とにかく幸せそうには見えませんでした。やがて男の子は持っていた空箱を頭にすっぽりとかぶりました。大きい女の子は突然包丁を手に取り、次々と箱に突き立てていきます。どうやら手品ショーが始まったようです。その傍らで小さい女の子は包丁をおもちゃにして遊んでいます。


 かぶった箱はかなり大ぶりのものだったので、多分包丁は男の子の顔をかすめるように刺さっているのだろう……と思っていたところ、男の子が突然箱を持ち上げました。そもそも包丁が短くて、顔まで届いていないことがそこで判明しました。すると女の子は困った様子で、男の子に向かって何かを説明し始めました。
 もう全然芸になっていなくって、見ていて切なくなりました。周りには私以外にも大人がいて、中にはにやにや笑っている人もいます。彼らはここの住人でしょう、そこまで粗末な身なりはしていません。
 経済が発展しているこの地域には普通に学校があるので、ほとんどの子供はそこに通っているはずです。一方、その子たちには親はおらず、どこか中国の奥地から生き延びるためにやってきたのだろうか……と想像しました。


 香港にも物乞いの人がいますが、それを見ても今まで特に何も感じませんでした。けれども私も親なもので、初めて見た子供のそういった姿は本当にこたえました。でも正直に付け加えるならば、実際のところ何かが変わる・何かを変えられるなんてことはないと、すれてしまった私は依然考えていました。
 そんな私ですが、ここで自分が感じたことだけは忘れないでおこう、そう強く思っています。

2006年12月6日

(HK)中村さんと仕事と私

 スレイブと揶揄された中村さんが香港に来て、講演をしていったようです。パンフレットの中では、中村さんは暗い研究室の中で青色レーザーを片手に持ち、もう片方の手をあごに当て、読者のほうを見やりながら考え事をしている様子でした。雰囲気が出ているいい写真でした。


 個人的にとても気になる人なので、ぜひ実際に話しているところを見たかったのですが、400香港ドル(約6000円)はあまりに高いと思いました。そして、そういうことにお金・時間を使わないのが氏の教えではないかと、都合よく考えました。モノを人任せにせず自分の手でさわれ、とことん考えぬけ。そういう主義が中村さんの発明につながったと、自分なりに解釈しています。


 会社に遅くまで残ってデータだとか装置だとかを見ることがあります。そういう時はたいてい「長時間働く自分」というのに酔っていたりして、偉人である中村さんと自分を重ね合わせたりします。ところが実際のところは、残る理由が皆無とまでは言い切れないものの、自分の工夫次第で早く終わらせられたケースが多かったのではないか……という気もします。


 個人的には残業という概念など存在しない=就業時間にとらわれず成果のために働いている、つもりです。なので……ライフハック系の記事なんかを読んで「甘っちょろいわ!」と悪態をついたり、しまいには「ソフト屋にモノづくりの何たるかがわかってたまるか」なんて妄想を振りかざしたりしています。でもきっと、それは自分を肯定したがっているだけなんでしょう。


 結局、自分を客観視するのはとても難しいということで。例えば、私は「ばりばり仕事している」はずですが、インターネットのライフハック系の記事を読んでいる時点で、加えてこうやって文章を書いている時点で、スレイブ中村的「ばりばり」には到達していないのです、きっと。
 ちょっと客観視できたところで、今日はおしまいにします。