2005年12月31日

(HK)年末に

 香港の街を行く二階建てバスの行き先表示が、クリスマスや新年を祝うメッセージへと変わる、そんな季節がまたやってきました。ここ数ヶ月ほどはネットに文章を書かずにいました。その代わりに何をしていたを思い出そうとしても、別に何もというか、たちの悪い風邪をひいたりしていました。昼間は元気なのですが、朝起きたときと夜に咳が止まらなかったのです。二週間以上続いたと思います。家族も代わる代わるひいていました。

 先日会社でクリスマスパーティーがありました。プレゼント交換という、日本だったら小学生ぐらいしかやらないようなイベントが催され、誰かが購入した『みんなのたあ坊 タオル&ソープボトル ギフトセット』が私のところにやってきました。ラッピングを開けた瞬間顔が引きつりそうになったのですが、周りの人々がどうやら私のそのプレゼントを羨んでいるように見えたのでがんばって笑顔に修正しました。たあ坊……何故にここまで香港で健在なんだろう……疑問です。

 ブログを書くことで自分がどういう人なのかを伝えることができ、そのおかげで転職活動大成功! なんていう記事を読むと、転職を二回もしてしまっていてこの先も非安定雇用であろう私としてはかなりそそられます。けれども、仕事のことなんて気恥ずかしくって書けないですし。何せ特殊な分野なもので誰も読んでくれないかと……というか、自分の中にある、この手の謙遜のような自慢のようなヘンテコなフィルターのことを考えると、それはやめといたほうがいいと思うのです。

 インターネットに文章をさらすようになってからかなり経っているのにも関わらず、全然成長せず未だにこんな感じです。でも時々こうやって何かを書きつけています。やはりこれはアクセスしてくれる皆様がいるおかげです。今年もどうもありがとうございました。皆様もどうかお体にはお気をつけて。
 私のほうはぼちぼち続けていきます。例えるならば香港にてサバイブするたあ坊のように……と、無理やり第二段落を関連付けしてみます。

2005年12月21日

(HK)WTOが去りました。

 仕事上の付き合いがある方に、晩御飯をご馳走になりました。日本から出張で来ているその人(Aさん)と、そこの会社の香港オフィスのローカルのスタッフ(この文ではとりあえずエリックと呼ぶことにします)と、私の三人で中華を食べていました。
 エリックさんは日系の会社に勤めているからでしょう、日本語に興味を持っているようでした。まだカタコトの挨拶ができる程度でしたが、Aさんから色々教わっていました。


 さて、日本人二人がビールをどんどんと空けている時のことです。突然Aさんが、
「エリック、『ほもだち』なる日本語を知っているか?」
 と言い出したのです。私は吹き出しそうになりました。
 きょとんとしているエリックに、Aさんは説明します。
「『ともだち』じゃないんだよ……俺とお前のような、『ともだち』よりももっと親しい、それが『ほもだち』ってやつなのさ……」
 ああ、こうやって日本語を使って書くととっても怪しいです。

「分かるかエリック……、俺とお前は『ほもだち』なんだよ……」
 エリックが私に助けを求めてきました。Aさんの言っていることは本当なのか、と。既にほろ酔い気味のAさんはエリックと肩を組んだりし始めていたので、エリックも怪しみだしたのでしょう。でも私はAさんに遠慮して、
「『ほもだち』っていうのは特別な関係なんだよ」
 という解釈にとどめたのでした。


 やがて何か感づいたらしいエリックはペンを出し、メニューの余白にこう記しました。
『同志』
 Aさんと私は顔を見合わせます。エリックは言います、
「お前らの言う『ほもだち』っていうのは広東語では『同志』だ」
 と。びっくりしましたが、実はこれは勘違いではなく……さすがにエリックはきちんと理解していたのでした。『同志』にはそういう意味があるのだそうです。さすが資本主義香港。社会/共産主義を揶揄しているんですね。

 最近ではこの『同志』という隠語が普通話の人々にも理解されるようになってきているとか。共産党の一党支配にも綻びが見られます、といった紋切り型で締めたいと思います。

2005年11月1日

(HK)萬聖節ですか。

 昨日ぼんやりとNHKを見ていたら(衛星のが映るのです)、子供たちが仮装して横浜の街を練り歩いている光景がニュースで流れていました。ハロウィンってやつですね。思うんですけど、そんなイベントで盛り上がったりなんて、昔はあんまりなかったんじゃないかと。

 多分、自分が古い人間だからでしょう……いまいちこの祭りの楽しさが分からなくって。同じ西洋由来にしてもクリスマスだったら、飾りつけはきれいだしプレゼントはもらえるし、とわかりやすいのですが、ハロウィンときたらおどろおどろしいカボチャと駄菓子ですよ。また格好に至っては、日本には20点満点で採点される古式ゆかしい仮装があるというのに、そういったものを全く無視していて……。いや家族で仮装して欽ちゃんにいじられたいわけではないのですが。

 今日は会社でもみんな帰るのが早かったです。定時近くになるとそわそわしているのが何となくわかりました。でも、あー、遠まわしというか、奥歯に物が挟まったというか、単にオヤジくさいというか、まあそんな言い方になりますが、ハロウィンは男女の仲の緊密化につながるのかなあ、なんて余計な心配をしたりしました。

2005年10月30日

(HK)十月もそろそろ終わります。

 わたわたしているうちに今週も一週間が終わりました。思い出せば、先週の土曜日には家族で『日本の祭り』に出かけてきたのでした。それは香港島のビクトリアパークで行われた、多分文化交流とかがお題目のイベントです。ちょうど小泉の参拝の後だったので、会場の周りにはやけに警官が目立ちました。彼らは一応警備の格好はしているものの、とても暇そうでした。

 うちの家族は「とりあえず、何かあるだろう」程度で行ったのですけれども、おそらく人々の目的は『美勇伝』を見る、ということだったと思われます。すいません、今検索かけて『美勇伝』という名称を知ったところです。私が聞いていた話は石川梨華が来る、ということだけだったので。ああ、そんな人が昔モーニング娘。にいたねえ、という感じでしたし。

 当日は香港の夏の暑さこそありませんでしたが、とても日差しの強い日でした。そんな中、テントのつくる日影に入って、娘と息子に麦茶を飲ませたり、屋台で買ってきた焼きそばを食べさせたりしていると、拡声器を通して女の子たちの日本語が聞こえてきました。彼女たちが来たようです。

 多分スタッフから急遽学んだであろうこちらの言葉を少し交えつつ、ちょっとだけ会話して、その後聞いたことのない歌を歌って彼女たちは去って行きました。その間、私はほとんど舞台のほうを見ることはありませんでした。少なくとも一挙一動を凝視するということはなく。

 彼女たちを見に来ていたのは、けれどもあまり多くはなく、私がちらっと眺めた感じでは300人程度でした。石川梨華って結構聞こえた名前なので、彼女が娘。だった時はいつももっと歓迎されていたんだろうなあ、と想像しました。
 わざわざ香港まで来てわずか300人ほどの前で歌うなんて、昔を思い出すとずいぶんギャップを感じたんじゃないだろうかって、勝手に心配してしまいました。まだ十代だろうに、いい思いと辛い思いを経験して……とちょっと同情したり。

 この前来た大食いの小林尊のほうが、もっともっと地元メディアに取り上げられて、それこそ芸能人扱いされていたなあ、とも感じました。本当に余計なお世話です。

2005年10月22日

(HK)ミニバス事故る、2回目。

 去年体験したのは、渋滞の中でうっかり前のタクシーにぶつかってしまった、という軽微な事故でしたが、今回のは座席からふっ飛んでしまうほどの衝撃でした。朝、ミニバスがのろのろ走っているところに、横から車が飛び出してきたのです。
 けれどもほとんど終点に着いていたので、乗客は事故にかまわずわらわらと降りていきました。私も打った肩をぐるぐると回して、大丈夫なことを確認してから会社へと向かいました。

 その日、家に帰ってからその出来事を話すと、やはりものすごく心配されました。その反応は事故の後に容易に予想できたのですが、だからといって何をしたらいいのか・できるのか、その時私は思いつくことがありませんでした。

2005年10月13日

(HK)昼食時に

 前にも書きましたが、香港には揚州炒飯、福建炒飯、西炒飯があるわけですから、本日の遭遇は必然なのでしょう……日式炒飯奄列(日本式炒飯オムレツ)なるものが会社の近くの食堂でおすすめされていました。

 何のことはない、ただのオムライスだろうなあ、と思ってオーダーしてみたのです。
「あれって、日本発祥の料理なんだ」
 なんて、みんなで話していました。確かに、オムレツをオムと略すあたりに、何となく日本人固有のセンスを感じます。

 さて、いよいよその料理が運ばれてきたのですが……結局、あっけないぐらい普通のオムライスでした。けれどもよく見ると、たくあんが付けあわせとして添えられていました。精一杯の日本情緒の表現なのでしょう。

2005年10月12日

(HK)天狗に任せて

 床屋に行ってきました。本当にローカルな床屋なので全然言葉は通じませんが、何回も通っているうちに覚えてもらったようで、いつも同じ人に同じような髪型に仕上げてもらっています。
 店に入って椅子に座り、順番を待っているときのことです。私が日本人だと知っているので、スタッフが日本語の本を持ってきました。色々な髪形が載っているカタログでした。
 一応日本はおしゃれな国ということになっているので、香港では日本のファッション雑誌がよく出回っています。みんな日本語の文章など読まずに、かっこいい服だ、髪だ、バッグだ、などと情報の収集をしているのだと思います。そんなわけで、髪型カタログが日本語であっても別に普通なのですが……。『男のモテ髪』というタイトルでした。『モテ髪』ねえ……。
 けれども、よくよく眺めてみると、表紙に正しい日本語が見当たらなかったのです、『流れる男發の新しいパーマ』とかいう感じで。タイトルを除き『髪』が『發』に置換されていますが、理由が不明でした。

 日本語のウェブや雑誌では、時々お笑い目的で『中国製品に使われている間違った日本語』が特集されています。わざわざ他国の言語を商品パッケージに載せるのは、日本製品の持つ高級感を模倣するためだと思われます。
 でも、だからといって日本のファッション雑誌までコピーするのはどうしてでしょう? 本って情報を読み取るものなのに……。
 滞在が長くなってきて、大抵のヘンテコな日本語には反応しなくなってしまった私ですが、この件は疑問に感じました。

 ところで、この記事のタイトルは最近やっているゲーム、ニンテンドーDSの『ニンテンドッグス』から連想しました。中国語ではイヌが『狗』となり、この前読んだ新聞記事では『ニンテンドッグス』=『任天狗』となっていたので。

2005年10月11日

(HK)今日は当然休みではありませんでしたが、明日は重陽節で休みです。

 最近インターネットでツンデレなる言葉を学習しました。今まで無意識のうちに認知していた事象が、言葉の創造によって再発見される……と、慣れない言葉を格好つけて使おうとしても大概意味不明になるのですが、まあそんなカンジの感想を持ちました。そういう人って、いるでしょう、きっと。

 ところで、私は香港に住んでいて、毎日の通勤に電車を利用しています。その車内に限った話ではないのですが、当地でぼんやりと人間観察などしていると、かなりの確率でじゃれ合っているカップルを発見することができます。既に結婚しているからではなく、歳をとってしまったからでも断じてなく、ただ純粋に私は
「いちゃいちゃしてるなあ」
 と思うのです。それの証拠に、見ても何の感情も発生しませんし、私は。

 少ない情報を集めて検討したところ、ああいった行為はどうやら女性側が望んでいるらしい、という結論になりました。何でもこちらの女性は「男性に色々してもらっている」という状態を好むようです。この情報、当然私が香港女性から本音を聞きだせるわけはなく、こちらにいる日本人女性からの又聞きなので、どれだけ正しいかは分かりません。教えてくれた彼女は、
「人目がある中で、よくやるよね」
 と言っていました。私も全くの同意でした。日本人にはちょっとできないと思いました……。

 急に香港の若い人々のいちゃいちゃが思い出されたのです。
→香港の人にとってはあれが当たり前であり「デレ」ではない。
→「デレ」基準の低下により、日本人女性の外での振舞いは「ツン」扱いされる。
→日本人女性はみな「ツンデレ」だ。
 ああ何だか、とってもグローバリゼーションな結論が得られ、意味不明にも磨きがかかったところで終わりにしたいと思います。

2005年10月8日

(HK)ちょっとだけ秋の風が吹きました。

 ジャスコの日本食品祭り、ちらっと眺めて終わりにしました。あまりにも混んでいたし、特に目当てのものがあるわけでもなかったので。でも一つだけ驚いたことがあります……こ、これは、もしや北海道物産展なのかっ! と。
 何と一番目に付く陳列棚に『白い恋人』が置かれていたのです。北海道は香港で最近人気の観光地ですから、お土産としての『白い恋人』の知名度は高いのです。ちなみに『白い恋人』の空き缶も、オフィスなんかできちんと収納ケースとして活躍していたりします。
 でも今回は、たった10数枚に2000円以上の値段がついていて、あまり売れ行きはよくなさそうでした。

 先週の金曜日は出張で東莞に行っていて、そしてその時初めて中国本土での宿泊と相成りました。今までの出張はずっと日帰りでした。
 日本人との仕事だったら、夜になるとその人たちに連れられて、あちこちで飲むことになるのでしょう。でもその時は一人で行っていて、相手も日本人ではなかったのです。
 結局、仕事を終えた後、唯一知っている店で夕食を食べました。『回鍋肉』を指差して『ホイコーロー』とオーダーしたら、律儀にも正しい発音を教えてくれました。出てきた料理は辛いことと豚肉であることを除くと、全く予想とは異なりましたが。
 やがて店を出るころには薄暗くなっていました。街灯なんかないところですから、なんだか急に怖くなってきて。そんな中でも車と人だけはひっきりなしに流れています。あちこちでクラクションが鳴っていました。
 結局7時ぐらいに宿の部屋に着いてしまい、その後は共産党の宣伝臭が漂うTVなんかをぼんやりと見ていました。

2005年9月27日

(HK)九月も終わりですが、蒸し暑い夜です。

 香港のジャスコから広告が来ました。何でも今までカナダ食品祭りを開催していて、そしてその次が日本食品祭りだとのことで。この広告から意訳でお送りします。太字は原文に大体忠実です。
 期間中、日本直送の野菜や果物、蟹、刺身、お菓子、ジャスコのプライベートであるTOPVALU製品など、100%本物の日本食品を取り揃えて皆様のお越しをお待ちしています。
 いやまあそれは日本製なのでしょうが、あえて言及しなくても……という感じです。というか、別に日本食品祭りに限らず、いつでも普通に売っているのですが。

2005年9月20日

(HK)三連休終了、でも今度の金曜は休みではないのです……。

 再び家族と一緒に住み始めるようになっても、相変わらずほとんどの土曜日は休日出勤しています。けれども今週は、今日(中秋後の祝日)を含めて三日、きちんと休みました。基本的に家でのんびりしていました――噂によるとモーニング娘。が香港に来ているようですが、観に行くなんていうことも当然なく。
 今日は娘とプールに行きました。真夏の頃お湯のように感じられた水が少しひんやりしていて、ここ香港も秋に近づいているのだなあ、と、忙しい時には持ち得ない感情になりました。今日が今年最後かもしれません。でも昼間の日差しはまだまだきついです。

 時々忘れがちになるのですが、今でも水分をたくさん取り続けています。さっきも買ってきた水を3カップほど意識的に空けました。きっとお酒を飲む人だったらこれくらいの量、全然問題ではないのでしょうが。
 飲むだけでは何となく寂しかったので、その時、同時に日本製の黒砂糖を食べていました。最近はまっているお菓子です。親指よりも一回り大きい塊を端からがしがしとかじりつつ、水をあおる……次第に自分がカブトムシやクワガタになったような気がしてきました。

2005年9月14日

(HK)日本からの仕送り

 久しぶりに親と電話しました。ありがたいことに、
「どう、何か買って送ろうか?」
 と言ってくれたのです。きっと孫のことが念頭にあったんだと思います。

 ですから、その局面で今週発売の『のだめ』と『逆転裁判』を頼んでしまうというのは、許される行為ではないはずです……。でもDS本体はいらないんです、こちらで220Vのを買うので、っておい!

 その後、娘と一緒に任天堂のページへ行って、
「どの犬がいい?」
 と尋ねて、結果、『チワワ&フレンズ』も追加でお願いすることにしました。

2005年9月13日

(HK)衆議院選挙について書いてみる。

 腎臓の石のために入院した時のことです。

 書類に色々書き込まなくてはならなかったのですが、その中に戸惑った項目があります――Religion――宗教はなんですか? という質問です。病院としては何肉が食べられるのか、とか、輸血が大丈夫なのか、とか知りたかったのでしょう。
 思うのですが、この項目に際してBuddhistとか、まあ他の宗教でもいいですけど、即座に書き込める日本人ってそんなに多くないんじゃないでしょうか。本当のChristianならすんなり埋められるかもしれませんが……。この辺、私の勝手な想像です。

 結局私は空欄にしました。そして、ふと、『無宗教主義者』という扱いになるかな? と心配になりました。聞くところによると、アメリカなんかでは『無宗教主義者』=『無神論者』となって、人として信ずるに足らず、というレッテルを貼られるそうで。ここは香港なので、少しは寛容だと思いたいです。
 でも、繰り返しますが私の想像では、日本人のほとんどは、宗教を尋ねられても答えられない、いわば『無宗教層』だと思うのです――と、ここから選挙の話になります。

 昨日今日とテレビやインターネットのニュースを見て、私は、『無党派層』という言葉が『その場その場で日和見的な反応をする有権者』という意味合いで使われている、と少し憤りを覚えました。『決まった政党に投票する』という裏返せば画一的とも取れる行動をとらないだけで、何でそこまで愚民扱いされねばならないんですか。だってさあ、子供が生まれたらお宮参りに行って、教会で結婚して、お寺で葬式をするような国民ですよ、我々は。

 やっぱり組織選挙の連中こそマイナスイメージを植えつけられるべきだと思うのです。地縁、業界団体、宗教団体、労働組合、がちがちに縛り付けられたやつらを『受動的投票者』と呼んでやりたい。それに対して『無党派層』はアクティブだと。明るいイメージこそふさわしい、そう思うのです。

 よく『私は自民党支持者ではありませんが……』という断りの一文を個人のページで見かけます。きっと自分自身が伝統的な自民党支持者と同一視されることを恐れているのだと思います……というか、私も同様に恐れているので使います、(あ)は自民党支持者ではありません。
 けれども、そんな断り書きはなくなるべきなのです。飄々といろんな党を渡り歩く、そんな投票者で私はいいと思っています――次に選挙に行くことがあれば……すいません、香港にいるもので。面倒そうで今回も棄権しました……。

2005年9月10日

(HK)月餅注意報発令中

 中秋といえば月餅(げっぺい)であり、月餅といえば卵黄が想像されます……そんな季節がまた巡ってまいりました。現在香港では、街中いたるところで月餅の四角い箱や缶を見かけることができます。

 表面が茶色くよい感じに焼かれていて、そして中もしっとりしているので、月餅は一般的には美味しいお菓子なのでしょう。けれども、中心には月をイメージした卵黄がそのままの形でごろりと入っていて、それが味付け卵をさらに味濃くしたような感じなものですから、日本人の間では評価が分かれます。私はちょっと受け付けないほうの人間です。

 この卵黄、大変縁起がいいもののようです。というのも高価な月餅ほどたくさん入っているのです。去年見つけたものの中では、直径15センチほどの月餅に6個入っているというのが最多でした。怖いもの見たさでつい買ってしまいました。

 香港の普通の会社では、上司が部下のためにふるまうものだそうですが……なにぶん自分が美味しいと感じないので、そういうしきたりに従おうという意欲はどうしても欠けてしまいます。

2005年9月7日

(HK)例えるならば『いくら長崎の人でも、長崎ちゃんぽんを毎日食べはしない』となるのかもしれなく。

 香港ではごく普通の、卵や海老やチャーシューが入った炒飯がなぜか『揚州(やんじゃお)炒飯』と呼ばれます。とても美味しいです。けれども繰り返しますが、ごく普通なので、私は香港ので十分満足してしまい、
「本場の揚州炒飯を揚州に食べに行こう」
 とは今のところ思いません。揚州がどこかも知らないぐらいで。
 せっかくの知名度を生かしきれず、揚州も残念な気持ちでいるのではないかと(勝手に)察します。

 同様に、あんかけの炒飯は『福建炒飯』です。これも美味しいです。でもなぜ福建なのか、当の福建の人々はどういう意見を持っているのか、こちらについても詳細な調査が引き続き待たれるところです。

 ところで、上の二つは中華と呼ぶにふさわしい料理なのですが、最近それ以外の炒飯を中華なファーストフードで発見したので注文してみました。曰く『西炒飯』と。
 例えば『西医』ならば中国医学や漢方医学に対応して『西洋医学の先生』となるので、『西炒飯』の『西』は『西洋』なはずで、それなら、
『西炒飯』=『ピラフ』
 になるのかもしれませんが、さて、オーダーしたものをカウンターで受け取ると……。

 答えは『ケチャップライス』でした。お子様ランチに乗っているような、もしくは、オムライスの中に入っているような、そんな感じのものです。
 けれども特筆しなければならないのは、それが平たい皿に山盛りになっていたという事実です。見た目に圧倒されてしまい、しばらくの間私は固まってしまいました。

2005年9月6日

(HK)ポストカードを見ると

 この前、家族が日本に手紙を書くというので、ポストカードを買いに出かけました。お目当ては香港の観光地が写ったものです。ピークからのビクトリア湾の眺めだとか、中環のビル群やスターフェリーだとか……そんな光景をイメージしながら、ローカルな少し大きめの本屋へと向かいました。

 中に入ってしばらくうろうろすると、円筒型の什器を見つけることができました。何種類ものカードがそれにディスプレイされていたので、私たちはカラカラと什器をまわして、
「どれがいいかなあ」
 と吟味しはじめました。けれども、なかなかピンとくるものには出会えません。何かちょっと違う……そんな気がずっとしたのです。買わずに帰る、そういう選択肢もあったかもしれませんが、結局、中でもましと思われるものを選んで購入しました。

 気がついたのは、家に着いて買ってきたカードを並べ、手持ちの他の香港の写真と比べ始めてからです。ピークからの写真に写ってないんです、香港で一番高いビル(国際金融中心)が! それが物足りなさをかもし出していたようです。それからあら捜しを始めると、出てくるわ出てくるわ。おい、いつの写真だよ、という具合に。
 最近、といっても多分ここ四、五年だと思うのですが、香港はずいぶん変わっているのでしょう。

 あらためて、
「香港の変化は激しいなあ」
 と思わないこともなかったのですが、それより私は、
「そんなもの店においておくなよ……」
 というあきれ返りのほうを強く感じました。

2005年9月2日

(HK)あの観光名所のみやげ物が!

 香港ディズニーランドは、当地の観光産業振興の起爆剤として期待されています……と今日は何となく紋切り型で書き始めてみました。大体何ですか、『起爆剤』って。日常生活では比喩絡みでの登場しかないような気がするのですが。でも、本来の意味で起爆剤という言葉を頻繁に使うとなると、それはそれで怖いような気もします……。

 そんな懸念は当然どうでもいいのです。ところで、このディズニーランドは今月十二日のオープンを予定していて、現在リハーサル目的で少数の特別なお客を受け入れています。会社の自分のいる部署の一人は、このオープン前に行けるという幸運が授かったらしく、先週ニコニコしながら有給申請の紙を私のところまで持参しました。「ディズニーランドに行くから、休ませてくれ」と。

 まあねえ、有給は労働者の権利ですから。加えて、私は(自称)理解があるマネージャですし。でもそんな理由で会社を休むなんて、果たして自分だったらする(できる)だろうか、とりあえず目的は伏せるだろうなあ……と、何とも複雑な気分で私はサインしたのです。

 さて、結局彼女の有給は問題もなく消化され、その見返りとして私のところにも香港ディズニーランド土産がやってきました。キャラクターの絵で彩られたカラフルな缶に入った個別包装のクッキーでした。
 缶のふたには『香港ディズニーランド』と書いてありましたが――しかし――あまりに『しっくりくる』おみやげで、とても見覚えがあるものですから――好奇心に駆られて、私はえいやっと缶の底をのぞいて見たのです。

 もうお分かりかと思います。クッキーは日本製でした。パッケージの文字をTokyoからHong Kongに修正しただけでしょう。でも、その事実を伝えたところで件の彼女は「日本製だったら、当然おいしいよね」と、さしたる屈託も見せませんでした。

2005年9月1日

(HK)Caがいけないと言うのです……。

 子供の頃から良いものだと叩き込まれ、盛んに勧められていたものが原因であると説明されると、さすがに戸惑ってしまいました。というのも、石(私が体内に生成し、先週衝撃波によって破砕された)の主成分がカルシウムだと解析の結果判明したので。「牛乳を断て」って、先生、私が骨粗鬆になったらどうするんですか!

 でもやっぱり、カルシウムを取りすぎているということはないような気がします。栄養バランスにはわりと無頓着なほうで、サプリメントをとることもないですし。いつも何でも好き嫌いなく食べる、それをちょっと誇りにしてたので、食事制限なんて自分に関係ない話だと思っていました。

 それでも先生が「再発の可能性は70%だ」なんて脅しますから、とりあえず教えられたように水だけはものすごくたくさん飲むようにしているのです。

2005年8月28日

(HK)初めての入院

 今週、三日間ほど入院していました。初めての経験です。

 自分では体の弱いほうではないと思っているのですが、去年の夏から、突然具合が悪くなることが何度かありました。夜中にふと目がさめ、気付くとなぜか下腹部が痛いのです。我慢できずに床にごろごろ転がって悶えたりしているうちに、ふと治まる……。そんな症状が昨夏は二回、先週も一回ありました。時間が経てば治まると考えていたので、脂汗をだらだら流しながら耐えていたのです。そして実際治まっていたのですが。

 ところが今週のは、どうにも治まらなかったのです。会社に行く時間(実はその日は中国への日帰り出張の予定でした)になっても駄目で、起き上がるだけで吐き気がする。それでも何とか昼過ぎには落ち着いたので、タクシーで病院に向かったのです。
 病院に着いたときには、まだ痛みはひいていなかったのですが、それでも別の不思議な安心がありました――今度こそちゃんと主張できる、と。昨夏の初体験では『もうだめ……』と救急車を呼び病院に担ぎ込まれたものの、既に痛みがなくなってしまっていて気まずかったのです。その時はとりあえずX線をとってもらったのですが当たり前のように異常はありませんでした。

 で、今回は左下腹部がかなり痛かったわけなのですが……診断は腎結石でした。石が管をふさいでしまっている時にだけ痛む、という至極納得のいくものでした。

 水分不足が原因ですから、しっかり水を飲んで予防しましょう、とのことでした。

2005年8月22日

(HK)そういえばお盆でしたね

 小林さんを私も娘を連れて見に行ったのですが、すでに試合は終わっていました。通訳を通してコメントする姿を人垣の向こうにのぞくだけでした。元気そうだったので安心しました……友人でも知り合いでもなんでもないのですが。
 香港のメディアは来訪に妙に反応して、彼が叉焼包を100個食べた、と一面トップで扱った新聞もあります。いやまあそれは、のどかなニュースでいいですねえ、という程度なのですけれども、私個人的には、日本のヤフーのニュースサイトであそこまでアクセスを集めたことのほうが驚きでした。


 最近香港で問題になったものの一つに、中国産のウナギがあります。なんだか毒性が見つかったとかで、あちこちのスーパーから撤去される騒ぎになりました。そういったニュースを眺めていると、どうやらウナギは主に日本料理に使われているらしい……と気付きました。回転寿司はこちらでも大人気なのですが、そこでも提供されなくなったとか報道されていて。
 そんな中、ある日本料理屋の店主が浮かぬ顔でインタビューに答えていたのです。内容はよく覚えていません、というか広東語で理解できませんでした。ただ、店の場所と名前がとても興味をひいたのです。

 日本料理『小金井』 in 深水{土歩}[しゃむすいぽ]

 なぜに『小金井』? 『銀座』や『京都』ならまだしも……。それって地名なのですか、それとも人名ですか、実は? 香港一のあやしい電脳街、深水{土歩}という立地条件とあいまって、私に謎を投げかけたのです。

2005年8月7日

(HK)速報! 小林尊さんが香港に来ます!

 尊と書いて『たける』と読み、一時期メディアにもてはやされていました。たとえ皆の記憶から消えかかっていようとも、彼は今年も淡々とホットドッグを食べつづけ、結果五回目の優勝を飾り、そして何と来週末、香港の黄埔(ワンポア)という街に乗り込んでくるのです……ということを私は今日知りました。

 何でも、ワンポアのレストラン街で大食い大会を開催するらしく、そこに小林さんが招待されたようです。看板には、小林さんが香港の人々の挑戦を受けてたつ、というような趣旨が書かれていて、その横では件のホットドッグ大会での雄姿がビデオ放映されていました。

 大食いなんてきっと正しい社会・道徳的には許されない所業でしょう。かつてテレビの視聴率稼ぎで引っ張り出され(まあ、見ていた私も私ですが)、挙句に捨てられて。でも私はただ単純に、まだ彼が大食いを続けていたのだ、ということに感嘆したのです。報道によると今年のアメリカでの優勝の後も、
「自分が昔樹立した記録を破ることができず、残念」
 というようなことを言っていたそうですし。

 彼は客寄せのためにあちこちの大食い大会に呼ばれているようですが、その行為は決して万人には賞賛されていないと思います――そんなことで金をもらうなんて……という感じで。おそらく定職にもついていないかと。
 けれども、自分の能力を知った男が、その貴賎を知った上であえて能力を使う道を選び続けている、というその一点のみに私は強くひかれるのです。

2005年8月2日

(HK)おや、もう8月ですか。

 先週はとても暑かったのに、週末だけはなぜか雨降りでした。そんな土曜日の話です。

 日本の常識では、気温が30度を越えるとアイスクリームなどとてもくどくて食べたくないようなものですが、香港だとそうでもないようで、皆街を歩きながら美味しそうに食しています。街角のマックでは二ドル(約30円)でソフトクリームを売っています。
 けれどもうちの娘はやはり日本人ですから、もっとさっぱりしたかき氷が食べたい、というのです。土曜日には、言い出してきりがなくなりました。その日は大雨なのに。

 で、バスに乗って二人で出かけることにしました。尖沙咀のハーバーシティーの『麻布茶房』まで。とりあえず日式の甘味処に行けばあるだろうと。近所の店で探してもあったかもしれませんし、ジャスコまで行けばかき氷製造器も売っていたのでしょうが。
 途中のバスは大渋滞に巻き込まれるし、観光客でショッピングセンターはごった返しているしで、目的の店に着くのは結構大変でした。けれども席に座ると、バスの中で待ちくたびれて寝てしまっていた娘も途端に元気になります。いそいそと二人でメニューをのぞき込みます。第一希望のメロン味がなかったので、抹茶味にしました(ほら、これも緑だよ、なんて言いながら)。二人で一品しかオーダーしないのも変なので、安倍川餅もついでに頼みました。

 ところが、いざかき氷が来てみると、娘は全く口をつけないのです。「甘すぎる」とか言い出して。店の冷房が非常にきつかったのも原因の一つでしょう。いや、安倍川餅を妙に気に入ったのが理由かもしれなく。
 で、私はというと、娘のために餅を切り分けながら、全然食欲のわかないかき氷を頭痛と戦いながらひたすら食べたのです――そして、店の窓の向こうの曇り空とビクトリア湾を見ながら、このことをきちんと覚えておこうと思ったのです。

2005年7月11日

(HK)Shinkansen

 サンリオのキャラクターの一種であるShinkansenは、新幹線の先頭車両が顔になっている男の子向けのデザインです。今調べたところ、全部で12台のお友達がいるそうですが、一番よく登場するのは旧型の東海道新幹線です。
 さて、このShinkansen、ここ香港でもそこそこ人気があるようで、ついに香港マクドナルドのハッピーセットのおまけに登場しました。一流の仲間入りといえるでしょう。ごく普通の電車のおもちゃとして、ハンバーガーと一緒についてきます。
 その広告をぼんやりと見ていて、気付いたことがあります。例えばキティーの彼がダニエルであるように、いや、電車モノの元祖でいえばトーマスの友達がパーシーであるように、キャラには設定上名前が必須だと思うのですが……Shinkansenにはどうもそれらしきものがなさそうなのです。
 というのも、ハッピーセットでは旧型の東海道新幹線がちっとも可愛くなく『1號列車』と呼ばれ、その他の仲間たち(なぜか東北新幹線)が2号、3号……の名を頂戴しているのです。これって、東北の差別ですか、えっ? どこに憤ればいいのやら。

 という感じで、現在香港にて9ヶ月ぶりぐらいに家族の生活を再開させました。

2005年6月27日

(HK)開閉器伝説

 リビングの電気をつけたり消したりするのに、とても便利な『開閉器』というものを使っています。この開閉器は玄関の近くの壁に埋め込まれていますから、帰宅した際、リビングに行く前にあらかじめそこを灯しておけるという、まさに文明の産物なのです。
 で、昨日寝る時に、私はこの開閉器のあるところに行き、いつものように『切』にしようとつまみを上に跳ね上げたのですが……、驚いたことに上に跳ね上げても消灯されないのです! 仕方がないので、力を加えてつまみを奥に押し込むと、ようやく消えてくれました。
 やれやれ、と一安心しました。でも同時にいやな予感もしたのです。あわてて今度は逆につまみを押し下げようとしたところ、何と、もう完全に固まってしまいピクリとも反応しなくなっていました。そんなことが起こるとは。開閉器って壊れるんですか!
 結局……ほら、その開閉器って玄関のところについているじゃん? 寝る時わざわざ消しに行くのは億劫なんだよね……なんてうそぶきつつ、しばらくそれを使わないことを私は決意したのです。

(HK)Google Map→香港ディズニーランド→広東語

 Google Mapが香港に対応したようです。とりあえず香港ディズニーランドなど探してみました(上のリンク)。9月12日のオープンで、7月1日からチケット予約開始だそうです。

 さて、うちの家族ほど私はディズニー・キャラクターが好きではないのですが、やはり一度は行ってみたいです。興味は一体あのキャラクターたちがどんな風にしゃべるのか、です。まず言語は、国際都市を標榜する香港ですから、英語。中国に媚びていますから、普通話。一応地元に配慮して、広東語、でしょうか。三つ全部使うと、とてもあわただしいと思われます……例えば……ほら、ミッキー、後ろ! 後ろ! お客に説明している場合じゃないって!


 私は日本のディズニーのみ知っているので、あの日本ミッキーの甲高い声しか想像つきません。あれってアメリカのオリジナルでもそうなんでしょうか。それからミニーの少し舌足らずなおっとりしたしゃべり方。香港の女の人は概して早口な(気がする)ので、どうなるか見ものです。加えて、やっぱり中国人ですから、間投詞は当然
「アイヤー」(普通・広東とも)
 なのか、
「ガウチョー」(広東)
 なのか、それから語尾にはきちんと、
「?ラ{口+拉}」(広東)がつくのか、とか……。
 ちなみに私は普通話は全く分からないのですが、なんとなく判別はつきます。個人的には『シャ』『シ』『シュ』『シェ』『ショ』の息が漏れるような音が普通話の特徴です。


 何度も書いているように、私の知っている広東語は極めて少ないのですが、少ないがゆえに自分のボキャブラリーにヒットするとおかしくてたまらなくなるのです。

2005年6月25日

(HK)Musical Baton本番

  • Total volume of music files on my computer (コンピュータに入っている音楽ファイルの容量)

    WindowsってCDを入れたら勝手にコピーしてくれるんですよね。そんな由来の数枚分が入っています。
    と ころで、この前韓国に行った際に出張用のノートパソコンを借りたのですが。すると、前使った人が上のような事情でMy Documentsの中にファイルを残していたのです。普通の香港の若い人ってどんなのを聞くんだろう、と興味があってコピーしちゃいました。で、 124MB。


  • Song playing right now (今聞いている曲)

    文を書くときは聞かないのです。唯一洗濯物干しだとか掃除だとか、部屋で動き回っている時に、電気屋で見つけた最長のコードを持つヘッドフォンをかけて聞いていることがあります。


  • The last CD I bought (最後に買ったCD)

    BoAの『BEST OF SOUL』です。
    (『台湾、香港、中国、韓国、シンガポール、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア国内のみ』バージョン)


  • Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

    楊千{女+華}『飛女正傳』

      この曲をオルゴール風にアレンジしたものが、香港のジャスコのBGMとしてかなり頻繁に流れていたのです。当時曲名もアーティストも知らなかったのです が、出張用のPCに偶然オリジナルを発見し判明しました。アイドルと呼ぶには少しアダルトな楊千{女+華}が、情感豊かに歌っています。
     遠い未来において、香港時代を懐かしく思い出させてくれるのではないか、と期待しています。


  • Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)

     中学二年生の告白のように、砕けてみましょう。好きです。
     ところで、Blogじゃないとだめなんですか?
     まあチェーンメールのようなものなので、お気に召しませんでしたら大人の気持ちで温かくスルーしてください。お願いします。

    紺さん
    北村さん
    久遠さん
    野郎さん

2005年6月24日

(HK)Musical Baton

 Musical Batonなるものを、と書き出して、ふと気になって"Musical Batonなるものを"と検索したところ、ちょうど100ページあることが判明しました。だから?

 このMusical Baton、ありがたくいただきました。こんなページですが、見ていただき、あまつさえバトン先にあげていただくとは。西直さんどうも。

 今日はそのうれしさを抱えたまま寝ます。ちょっと考えることもありますので……。ああ、なんだか中学生みたいな気分です、中二ですか、この気持ち。

2005年6月19日

(HK)採用活動

 私の勤務している会社は香港の会社ですが、それにしては日本人が結構いると思われます。まあ詳しいことは抜きにして。

 で、今は新人採用の季節です。大学を卒業する・しそうな人との面接が連日のようにセットされています。日本とは違って、ここでは卒業が近づいてから就職活動をしているのです。昔の自分と比較してしまい、つくづくこちらの学生はまじめだなあと思います。
 幸い私の部署は人が足りているので大丈夫なのですが、隣の部署の日本人なんかは結構な時間を費やされています。というのも(多分今いる会社の風習なのかもしれませんが)面接は『一次が最終』という一発勝負なので、他人任せにできないのです。よさそうな人だったら意地でも引っ張ってこなくてはいけないし、変なのを採用しそうな流れになったら、これも何とかして止めないと後でえらい目に遭いますし。

 面接は香港のエンジニアによって英語で進行されます。会社の中である程度の位置にいる彼らは基本的に優秀でしかも勤勉です。そしてプライドも高いのです、多分――かなりの圧迫面接をするところに、そのあたりがうかがえます。
「ここは日本の会社だからプレッシャーがきついし、労働時間も長い。残業も当然だし、土曜も日曜も出社することがある。そういう中であなたは働けるのか」
 なんていうのを学生に英語で(広東語ではなく)まくし立てるのです……。

 まあ、少しの誇張はありますけど、それぐらいの心構えで入社してもらうのはいいことだと私は思います。期待よりもつらくないじゃん、というほうが逆よりマシなので。
 でも、会社に日本人がいるからといってそれを理由に使うのはどうかと……。この会社のカルチャーは断じて日本人が作ったものではなく、会社が置かれている業界や状況によると推察します。第一、あなたたちがそんなことを言うのを傍で聞いていると、
「自分はずいぶんひどい会社でこき使われているんだなあ……」
 と改めて再確認してしまい、一時落ち込んでしまうのです。

2005年6月13日

(HK)省みて

 今日は全くの平日でしたが、なぜか勤務先がお休みに設定してくれました。それで土曜、日曜、月曜と三連休でした。土曜に半日出勤してしまいましたが、それでも二と二分の一連休です。
 この三連休の間に部屋を掃除しようと思っていたのです。というのもついに家族が香港に戻ってきてくれるので。自分一人でいい加減に生活していましたが、まあ、恥ずかしながら、現在きれいとはお世辞にも言えない状態なので。

 意気込んでいたのですが、なぜか最終日この時間になっても、あんまり変化がありません……とか、客観的に描写している場合ではないのですが。
 ましてこうやってつまらないことを書いて更新するなんて、逃避以外の何物でもないのでしょう。はい、分かっています。

2005年6月10日

(HK)一言

 卓球の愛ちゃんって普通話(北京語)を話せるんですね。それが彼女が中国で人気がある理由の一つでしょう、きっと。

2005年6月8日

(HK)土曜日に関係したエントリーがまだ続きます。

 先日の土曜日のことです。私は午後四時ぐらいに会社を出ました。ミニバス乗り場に向かって歩いていると、何とも奇妙な集団を発見したのです。その五、六人がいるのは、ビルとビルの間――そこには流れる水だとかベンチだとかが整備されていて、ちょっとした広場のようになっているのです――という中途半端なところでした。そこで彼女たちは何かをしているわけでもなく、あえて言うなら立ち話をしているような雰囲気だったのです。
 奇妙だったのは彼女たちの様相です。ピンクの髪だったり赤いスーツみたいな不思議な服だったり――あれって、コスプレってやつだと思うのですが……。まさかこんなところで、大胆な! と感じました。
 でも近寄りがたく、遠目からは何を、もしくは誰をプレイされていらっしゃるのか分かりませんでした。いや、近付いたところで私の知らないキャラなのではないか、とも思いましたが。

 ところで、そこらは新しく開発された地域であり、周りに住宅なんてなく、最寄の駅からも歩いては来られないような場所なのです。ミニバスを使ったんでしょうか。あの格好で? それともタクシー? 乗車拒否されずに? というかここで集う理由は? と色々問いただしたくなりました。

 さて、紺さんは5月19日のマルヒニッキでこう書いています。
もうねえ、なんと言いましょうかね、おまえら「萌え」なきゃ気がすまねえのかと。こうしたアキバ系エナジー(あるいはリビドー)は昨今むしろ韓国や香港で加熱する一方だという。日本ではあくまでサブカルチャーでありつづけている「萌え文化」が、ほかのアジアの先進地域に飛び火するに至ってアンダーグラウンドから地上に這い上がろうとしているようだ。
 コスプレはアンダーグラウンドなのか、と聞かれれば私はYesと答えるでしょう。加えて昔かじった知識を用いるならば、あれは日本的に言うと「ハレ」でなくてはいけないと思います。コミケという「非日常=祭り」の場でのみ許されるのです、きっと。一方、会社の回りっていうのは「ケ」であり「日常」なのです。だから日本人の視点からすると明らかに違和感があったわけですが、対して、香港の人々には彼女たちはどう映っていたのでしょうか。

 こうして表面的に日本の流行が伝わっていくと、結果、大きな誤解が生じるのではないか、と危惧します。
 少し大げさなような気もします。けれども、日本製のアダルトビデオが出回っているおかげで、日本人男性全てが男尊女卑の考えの持ち主で、日本人女性は全く拒むことをしない、と思われている節もあるので。

2005年6月5日

(TEXT)土曜日、麻紀さんと (作者: (あ))


 土曜日に会社に行くのはキライじゃない。周りからの雑音はなく、試作ボー
ドの順番待ちもない。あのダサい緑色の作業服を着る必要もないし、かかとの
高い靴を履いていてもとがめられることはない。今は午後4時、今日はお気に
入りのキレイな色のカーディガンとスカートを履いてきたので、これからこの
後気分よく出かけられる。
 ブースの中でがりがりとコードを書いていた。最後にクリックする。青色の
バーが画面の下のほうに出てきた。それは徐々に右側へと伸びていく。パーセ
ント表記は50%、60%、そしていつものように70%で固まった。私は右
手で左肩をもみ、そのあと逆の手で反対の肩にも同じようにしてみた。
「私が揉んであげようか、仁科さん」
 突然声がしたので、見てみると、麻紀さんがブースの壁の上に顔をのぞかせ
ていた。ちょっと驚いた。麻紀さんも出社してたんだ……。全然姿を見なかっ
たような気がするけど。

 私がこの部署に来たのは一月ほど前で、それまでかの有名な麻紀さんとは話
したことはなかった。今では同じプロジェクトをしているので、一応会話はあ
るが、ほとんどが仕事の話で。ミーティングの場だったりしたし。そんなわけ
で麻紀さんと二人きり、というのは今日が初めてだ。
 麻紀さんは私の隣のブースから椅子を引っ張り出し、腰掛ける。
「仁科さん、どう、この部署は? 前より忙しいでしょう?」
「ええ」
 私は曖昧に頷いてみた。あえて言うなら予想の範囲内、そんな質問だったの
で。
「もう土曜日も来ているんだ、浜中君はキビシイ?」
「いえ、浜中さんに言われたわけではなくて……、前の職場でも時々土曜日に
来てましたし」
「そうなんだ。熱心だねえ、仁科さん」
 私の上長であって麻紀さんの彼氏(というか端的にオトコ)であるところの
浜中さんは、きっと私の休日出勤なんか知らないはずだ。それから私が麻紀さ
んと浜中さんの関係に気付いていることも。

 向かいに座る麻紀さんは作業服を着ている。首からは社員証をぶら下げてい
る。女性社員の場合、顔写真入りのそれを恥ずかしがって胸ポケットにしまう
人が多いのだが、麻紀さんはそんなことなどしていない。それは数年前の写真
だから確かに少し若いが、麻紀さんは頓着していないように見える。全く、昔
も今もキレイな人だから……。加えて仕事も英語もメチャクチャできる、スゴ
イ人だから。私がこの部署に異動になると話すと、
「麻紀さんと働けるのか、いいなあ」
 なるたわごとを言った同期の男もいた、そういえば。
 そんなことをちょっと思い出していると、麻紀さんは作業服のポケットに無
造作に手を突っ込んで、小箱を取り出した。そして、
「ねえ、仁科さん、チョコレートを食べない?」
 とすすめてきた。見ると高価そうなブランドのものだった。
「え、あ、いただきます」
「頭脳労働しているんだから。甘いものがいいっていうし」
「麻紀さんもよく食べるんですか?」
「私はあんまり食べないんだけれど……」
 麻紀さんは微笑んでいる。

 チョコレートにはブランデーか何かが入っていたようで、お酒の弱い私は即
座に反応してしまったようで。なんだか不思議な気分になってきた。
「昔は浜中君もよく土曜日に来ていたんだけど」
 麻紀さんは言う。続けて、
「ほら、今、赤ちゃん生まれたでしょう、浜中君のところ。やっぱり休みの日
ぐらいは家にいないと」
 と私のほうを向いて語る。麻紀さんはとても無邪気か無防備だ。私は浜中さ
んが妊娠中の奥さんを放って、麻紀さんと関係を持っていたことを知っている
のに。それともやっぱり、スゴイ人はこういうことにも頓着しないなのか。木
を隠すなら森に。何か違う……。
「もう一つどう? 仁科さん」
「ありがとうございます」
 箱から麻紀さんがチョコを取り出す。ぼんやりと私は麻紀さんの手を見た。
細い指の先の爪がきれいに切りそろえられている。確かにキーボードを打ち続
けるのに長い爪は邪魔だろうけれど、それにしてはそっけなさすぎるような気
がする。
 突然イヤラシイ想像をしてしまった。傷つけないように心遣いされた指……
浜中さんはベッドの上の麻紀さんにすっかりトリコになってしまったのかなあ
って。もしそれがそうなら、ベッドの上だけではないだろう、きっと。いや待
て、ちょっとおかしいぞ、今の私……。
「どうしたの、仁科さん」
「あの、私そろそろ帰るんですけど、明るい時間に会社から帰るのなんて珍し
いなあ、なんて思ったんです。今日土曜日なのに。おかしいですよね」
 繕おうとするとたくさん言葉が出てきてしまった。
「チョコにはフェニルエチルアミンが含まれているから、ね」
 麻紀さんは片目をつぶって私にサインを送ってきた。化学物質名っぽいそれ
が何を意味するのか、私には分からないが、ああもう、ただ麻紀さんはすごい
なあと思うばかりだ。

(HK)土曜日

 日本という国は多分労働者が過去に一生懸命頑張ったので、現在週休二日の権利を享受しています。ところが、ここ香港では、それはかならずしも当然ではありません。聞くところによると、韓国も同様のようです。観察していると、香港の場合大体半日勤務させる会社が多いようです。
 私が今いる会社は契約上は週休二日なのですが、エラい人々ほどきちんと土曜日に来ているので、それにつられて私もたいてい出社しています。それでも自分の場合、朝起きた時間にのんびり行くというスタイルを勝手に取らせてもらっているので、定時(朝8時)に着かなければいけない平日よりは気分的に楽です。今日の場合、昨日バーレーン戦を見たため朝11時を過ぎていました。

 そんな感じで私は少しシフトチェンジしたりして働いているのですが、一つだけ気になることがあります。時々大事なメールが、わざわざ土曜日を選んで(?)送られてくるのです。かなり故意のように思われます。土曜日の出社証明ですか、それは!
 今日に至っては、要求していた情報が韓国の某企業から届くという有様。その情報を元にこちらで仕事がスタートする=今まではスタートできなかった、わけです。散々タイトなスケジュールを組んでおいて、ケンカ売ってるんですか! でも向こうはお客様だし……。
 というわけで、
「情報どうもありがとう、これから始めます」
 なる内容のきわめて薄いメールを、出社証明として私も打ち返してやりました。段々と泥沼にはまっているような気がします。公然化って感じですか。

2005年6月4日

(HK)今のところ転職する気はないのですが。

 『リクナビNEXT』の『スカウトコーナー』という、インターネット上に自分の履歴書を匿名で登録して企業からのお誘いを待つ、というのをエンジニアの たしなみとしてやっています。基本的に非常にまじめな気持ちで取り組んでいるのですが、最近システムが変わりました。『Yahoo! Japan リクナビ』に変わって、ログインするのにparenthesis_aのパスワードが必要になったのです。えっ、ネット上に偏った文章を書 き散らかしているあのparenthesis_aですか!

 まあ、もう一つYahoo!のアカウントを取ってもいいし、または、絶対匿名なんだから気にしなくてもいい、と考えてもいいのですが。それから、誰もそんなわざわざ検索したりもしませんって。

 面倒くささのあまりparenthesis_aのままログインして、
(私の本名)さんのデータ
あなたの履歴書の注目度は、今回は XXXXX 位 でした

 なんていうのに、ゲーム感覚で一喜一憂しています。

2005年6月1日

(KOREA)回想

 某企業でのミーティングは当然英語で行われました。韓国人の英語を初めて意識して聞いたのですが、やはり癖があります。典型的だなと思ったのはこの辺です。

「example」→エクジャンプル 『ザ』の発音が『ジャ』に聞こえる。
「different」→ディッパレント 『ファ』の発音が『パ』に聞こえる。

 韓国人の英語の実力は香港よりも劣るような気がしました。ええ、自分が話せないことは棚に上げてます。そのため、通じればいいんだ、とミーティング中に悟りが開け、私はとても伸び伸びと話すことができました。

 某企業の面々はわりと若く、つねに貪欲に質問してきました。いくつかは完全に的が外れていたりもするのですが、とにかく勢いで来ます。その様子を見ていると、なんだか日本企業以上に日本企業的だなあと感じました。日本の高度経済成長期は、きっとこんな感じだったのかなあと。欧米に追いつけ追い越せという目標を達成すべく……。
 某企業に対するこの評はひょっとしたら既に使い古されているかもしれませんが。

 例えば、その後日本では、会社の食堂をおしゃれな形式に改造したりする方向に進化している一方、某企業は未だに効率重視で流れ作業のような食堂を維持しています。日本では今や小学校の給食にだって使わない金属の穴あきのトレイに、直接おかずが盛られていくのです。さすがにご飯と味噌汁は独立した碗でしたが。そしてむしろ、支払いに社員証と一体化したICカードを導入したりしてさらなる時間短縮を図っているのです。

 正直、私には現在の日本と、その某企業が追い求めている(らしい)ものとどちらがいいか判断はつきません。特に昼食に関しては、せっかくの息抜きなのでくつろぎたいなあと単純に思います。しかし彼らは何かを確実に意識している、という印象を強く受けました。

 日本なんかで生活していると、普段韓国のことを意識することなんて多分皆無ですが、きっと韓国人はちょっと違うのだと想像します。それが好印象なのか憎悪なのか分かりませんが、日本人が韓国のことを意識する以上に韓国人は日本のことを意識しているのではないかと思いました。

 改めて今日の文を読み直してみると既視感(どこかで誰かが書いていたんじゃないか、自分はその受け売りをしているだけなんじゃないか……)が拭えませんが、でも本当にこんなふうに感じたのです。

2005年5月30日

(KOREA)読めない

なぜか私たちだけで食べた昨日の夕食と、今日、お客様が用意してくれたレストランが同じ店だったため、二日連続焼き肉を食べることになりました。結構大規模なミーティングだったので、今日は韓国人、中国人、日本人、アメリカ人が焼酎を飲みながらわめき散らすという、希有な夕食になりました。

今日尋ねた韓国企業はいわゆる有名なあの会社です。私たちは昼食時に社食に案内され、あまりの効率重視にびっくりしました。長いこと列に並んだかと思うと、自分でトレイをとる必要があり、それを持っていると食堂のおばちゃんが適宜いろいろ盛ってくれて、最後にはそれを長く、何人の人々が同時に座れるテーブルに持っていって食べる。ただ、そこにも長居できず、急かされるように席を立ち、食器を自分で下げ、うがいをするスペースまでしっかり用意されている、という用意周到ぶりです。

とまあ、酔っ払いが適当に報告しました。ハングルは読めません、まったく。

2005年5月29日

(KOREA)出張者日記

初めての韓国が、観光ではなく仕事であり、ソウルではなく地方都市で、なぜか今いる部屋は日本でいうところのラブホのような感じで(ベッドとかおふろとか)、一番驚くべきことはウェブの更新が備え付けのPCでできてしまうというところでした。日本語入力がまったく問題なくできます。きっと過去の日本人宿泊者の尽力があったのでしょう。

ラブホですから、ベッドから寝転がって見ても問題がないような巨大なテレビがあって、それをモニター代わりにしてこの文を打ってます。驚きをすぐに表現したほうがいいかな、と思って。

これから外を探検してこようと思います。

2005年5月23日

(HK)日曜日終了

 何とか『短編』を書いて投稿しました。来週の日曜は韓国に向かっていると思います。初めての隣国訪問です、香港からですが。
 今日はぼんやりとウェブを見すぎてしまい、随分と時間を無駄にしたような気がしています。倦怠感。

2005年5月21日

(HK)製造業ですから

 工場に勤めたことがある人ならご存知かと思うのですが、『5S』という運動があります。5つの活動――整理・整頓・清掃・清潔・躾――のローマ字が全部Sから始まっている、という思いっきりジャパニーズでこじ付け的な由来を持つそれは、生産性向上の手段です。
 いや、『5S』、大事だっていうことは十分分かっているんです。部品や書類を探すのに小一時間かかってしまったり、ぐちゃぐちゃで片付いていない机の上ではんだ付けしていてヤケドしかけたり、私も色々体験していますから。やろうという気持ちはあるんですけど……。何となく親の小言と一緒で、明らかに正しいがゆえに何となく素直に取り組めなかったりします。

 この『5S』を、今いる香港の会社でも推進することになりました。従業員が会議室に集められ、パワーポイントを使ってありがちに説明がなされました。広東語で話されたので私はすぐに部屋を出てしまったのですが、聞いた話だと、机の上に仕事に関係ないものを置くな、通路は安全のため開けておけ、といったお達しが出たそうです。そして最後に問題用紙が配られ、
「今日の内容が理解できているかをテストするので、後日回答して提出するように」
 と言われたそうです。
 それを聞いて、私はなんだかなあ、と思いました。大事なのは大目標『生産性向上』なのに、と。個別にあれこれ注文をつけたところで意識の変化がなければ『カイゼン』は活きないのにな、と。まじめに取り組んでいないのにえらそうですが。

 一つ、面白いな、と感じたことがあったので、ミーティングから帰ってきた同僚に尋ねてみました。
「5Sって、なんで5Sなの」
 と。
 あっけにとられている彼の前で、私はペンを使い、整理・整頓・清掃・清潔・修養と書き、Seiri、Seiton、Seisou、Seiketsu、Syuyouとローマ字を付記しながら日本語の発音で読んであげました。だから『5S』なんだよ、と。部屋を出る直前にスライドに映し出されたそれらの文字を私は覚えていたのです。日本語と中国語で同じ漢字なんだなあ、と驚いたので。
 ところが、広東語での発音は異なるので、もはやSではなく。また後で調べて判明したことですが、『躾』は日本で作られた漢字『国字』なので、中国でそのまま使うことは不可なのでした。

 ところで、すぐに逃げ出した私ですが、ペーパーテストだけはやらなければならないのだ、同僚はそう言うのです。彼はというと、どこからか仕入れてきた模範解答をひたすら写しています。五つの下線のところに「整理」・「整頓」……といった感じに。そして、私のほうに、
「お前はこの英語版をやれ」
 と言うのです。
 えっ、そんなこと、無理です! 日本語ならまだしも。
 仕方がないので彼が持っていた未記入の中国語版を奪い取り、質問の意味を理解しないまま機械的に、私も漢字を書き写し始めたのでした。
「こんなのは『5S』なんかじゃない」
 と心の中で思いながら。

2005年5月15日

(TEXT)お酒の強要はやめましょう (作者: (あ))


 付き合いで出席した合コンを抜け出したのは、それが心底つまらなかったか
らだ。それで一人で帰宅している。決してその場のオトコと消えたわけではな
い――まあ今更どう思われようと気にしないが。今日は流行りの店だから、自
分から行こうなんて考えないような店だから、きっと食べ物も美味しいのだろ
うとちょっと期待していた私がバカだった。




 会では結局いつものように酒に走っていた。私が次々グラスを空にしてどん
どんオーダーしているのを見て、正面の間抜け面は、
「ユカってお酒強いんだね」
 と言った。
 ええ、強いですよ、家で飲むときはビールをビンじゃなくて缶で買ってます
から。缶って言っても3リットルぐらいの、サーバーなんかに取り付けるやつ
なんですけど。知ってます?
 と、初対面の人に名前を呼び捨てにされた憤りを隠しつつまくし立ててやる
と、間抜け面は、
「サーバー? コンピューターじゃなくて? ほらうちの会社ITだからさ
あ」
 なんてぬかす。気の利いたジョークだと思っているのだろうか。業界用語だ
ぞと言わんばかりに『サーバー』を平坦なアクセントで発音しているし。
 じゃあITだからその趣味の悪い柄のシャツと、セカンドバッグが許される
んですか、と私はカラミたかったのだが、けれどもただの酔っ払いと違って私
は酔っていることを十二分に自覚していたので、かわりに適当に例の新興企業
の話など振ってみた。リトマス試験紙のようなものだ。

 間抜け面かつセカンドバッグは得意げに話し出す。
「ああやって、世間を騒がすのだけがあの社長の目的だとボクは思うな」
 なるほどそうですか。まあ飲んで下さい。彼にビールを差し出す。
「ボクは、ビールが得意じゃない人だから」
 じゃあ、何が飲める人ですか? あ、すいませーん、この焼酎下さい。ええ、
氷とお湯だけで。梅は絶対に持ってこないで下さいね。
「ユカって焼酎も飲むんだ……」
 いいから、新興企業の話を。
「ええと、あの社長って金持ちの典型って感じがして。金さえあれば何でも買
えるというのは、間違っているんじゃないかと……、あ、もう焼酎来たんだ…
…」
 セカンドバッグの話には全く新規性がなかった。まあ期待もしていなかった
が。
 えっ、私のために焼酎作ってくれるの? お湯割りでお願いします。
 おいっ、何で焼酎から先に入れるかなあ。本当にそれで工学部出てんの? 
ねえ比重って分かってる?
「ボクは理学部なんだ」
 まあ、それはどうでもいいからさあ。で、金持ちの社長が女をとっかえひっ
かえしてるのが羨ましいけどムカつく、要約するとそういうことだったっけ?
「いや、そうじゃないんだけど……。ユカってオトコっぽいなあ」
 今君はとても無礼なことを言っているんだけど、私はとても寛容で、かつこ
の焼酎が美味しいので許してあげよう。




 もう少しで駅に着くという時に、後ろから足音が聞こえた。いやな予感がす
る。振り向くとやっぱりセカンドバッグだった。なぜか昔からこのタイプのオ
トコからよく惚れられる。
「何で、ユカ帰っちゃったんだよ」
 息を切らしてセカンドバッグが言う。
 じゃあ、後ちょっとだけ付き合ってあげよう。
 私はすぐ横にあったコンビニに入った。缶ビール二本(小さいやつ)とプレ
ミアムなアイスクリームを買う。
 高校生みたいにコンビニの前でたむろしようか。ちょうどいい具合にベンチ
もあるし。はい、ビール。
 セカンドバッグは覚悟を決めたようで、黙って座りプルタブを起こし、ビー
ルを飲みだした。どうしたらそんなにチョビチョビと飲めるんだろう。ものす
ごくまずいものを飲んでいるように見える。途中途中でちらりちらりと私のほ
うを見る。
「何でユカはアイスクリーム食べようとしてるんだよ!」
 何でって、ほら、甘いものは別腹っていうじゃない。私、女の子だし。
 私は努めて上品に食べようとしているのだけれど、使い捨てのやわなスプー
ンはかちこちに凍ったアイスクリームにうまくささらなく難儀している。

2005年5月11日

(HK)本物かニセ物かは分かりませんが

 昼食のセットについてきたクリームスープには、様々な形をした固体が浮いていました。小麦粉でできている『あれ』だろうな、と思って口に運んだところ、刹那、ぱりぱりとそれらは砕け散り、なんと『おっとっと』だったのです! よくよく見てみると、形が鯨だったり蟹だったりイカだったり。シーフードのスープだからといって、そこまでやるのはいかがなものかと。ふやけきる直前の状態で提供されたあたり、シェフの腕の確かさが伺えます、と言うと褒め過ぎを通り越して嫌味になりますか。

 『あれ』=クルトン ←思い出すのに時間がかかりました。

2005年5月10日

(HK)GW明けですか。

 一週間以上の間に溜まった要求を、少々の妬みと一緒に日本の取引先に送りつけてやりました。こちらは休みなどなく働き続けていたので。

 今日は横殴りのものすごい雨が、昼休みの間(しかも後半だけ)降りました。おかけで食事の後会社に戻るときに、服の半分が濡れてしまいました。一応南の島ですから。夏が来たなあという感じです。

 ミニバスに乗っていました。その時はちょうど信号待ちをしていたのですが、青になったとたん、横の車がすごい勢いで加速して前へと割り込んできたのです。ずいぶん乱暴だなあ、と思って観察していると、その車が『若葉マーク』をつけていることに気付きました。
 一瞬、初心者のくせにずいぶん派手なドライビング・テクニックじゃないですか、とも考えたのですが……あれ、ここは香港ですよ。
 あんなものまで車を彩るファッションと認識されているんですね。驚きです。

 そんなこんなですが、一週間、がんばりましょう。

2005年5月4日

(HK)緑色悪魔

 郵便受けを覗くと、緑色の封筒が入っていました。もうなじみになった香港税務局からのお知らせです。決してうれしいものではないですが、放っておくわけにもいかないのでしぶしぶ封を開けました。

 税務局からは今年何度も便りを受け取りました。初めは所得の申告用紙、それから催促、訂正、最後に請求書が来ました。当初の納税額は配偶者と子女の控除が抜け落ちていて、あまりの高さにびっくりしました。文句を言ったらきちんと算出され、結局五分の一の金額になりました。ちょうど一ヶ月前ぐらい前のことです。その納期は確か来月上旬までなので、しばらくは払わずにいても大丈夫だろうと現在高をくくっています。

 その税務局様がこの私に今更何の用ですか、とふてぶてしく今日の文面を追いかけると、またしても所得の申告用紙でした。間違いではなくて、今度は去年の4月から今年の3月までの分を納めろよ、と。そういえばようやく手続きを済ませた上のは、一昨年の4月からの分でした。

 ずるずるとしていた私が悪いだけなのです。今日受け取ったのもしっかり払わなければなりません、義務ですから。でも……あえて言わせてもらうならば……中国語の用紙を送りつけるのはやめてもらえませんか……いえ、あの、一昨年の分はきちんと英語だったのに、なぜ今回の分は中国語に戻ったのか、と問いたいのです。
 役所というものは、全く謎が多いです。

2005年5月2日

(HK)そうだ、麻雀のことを

 先週、無人島までバーベキューに行ったとき、麻雀をしたのでした。

 香港の麻雀は日本のそれとはいくつか違います。
 まず、牌がでかいです。牌を捨てる場所は決まってません。みんな思い思いの場所に放ります。そのためフリテンがありません。それだけではなく、リーチもありません。

 香港のガイドブックを読んで一応その程度の予備知識があったので、見知った麻雀、という軽い気持ちで参加しました。卓には私ともう一人男性、そして二人の女性が座りました。香港では女の人も普通に麻雀をするので。でも、この女性50%という割合、私にとっては人生で初めての体験です。
 期待を胸にじゃらじゃらと牌をかき混ぜます。並べます。そして積もうとしました……が、あまりの牌のでかさに私はぼろぼろとこぼしてしまったのです。次々と牌があらわになります――いきなりの失態です。香港女性たちから「だらしないなあ」という目で見られてしまいました。

 気を取り直してゲームに参加します。どういう風に組み立てるかほぼ一緒なので、いそいそと牌を並べ替え、新たな牌を引いてきたり余分な牌を捨てたり、いつものように楽しくプレイしました。けれども、彼らのスピードがやけに速いのです。他人の捨牌なんか全然見ておらず、また序盤からずいぶんと鳴きます。そうこうしているうちに、私の捨牌でさっくりと混一色を上がられてしまいました。えっ、それを集めていたんですか……という感じでした。だって捨牌がぐちゃぐちゃだから予想つかないよ……という言い訳を私はぐっと飲み込み。

 一度振り込んでしまってからは、戦後日本人のお家芸――専守防衛でがんばってみたのですが、なにしろ彼ら彼女らは絶対にオリないので、戦況は一向に好転しませんでした。結局彼女たちの「日本人だらしないなあ」というイメージを、私は最後まで払拭することができませんでした。

 ……いや、実はですね、あのときの麻雀は高度な戦略に基づき、彼女たちにアガってもらっていたんです。いわば接待、みたいな。
 ……なんて強がってみても、一抹の悔しさが残ります。

2005年5月1日

(HK)ええ、ゴールデンウィークはないです。

 最近の飲み会においては、一次会でさっくりと帰ってくることが多かったのですが、昨日は久しぶりに二次会まで行きました。送別会なので名残惜しくて。
 こちらで二次会といえば「片言の日本語が話せる女の人が横に座ってくれるカラオケ」です。たとえ行くメンバーの中に日本人女性がいようとも、その方針に揺るぎはなく。

 私は接客する女性と話したところで盛り上がったりできないつまらない人間なので、周りの人が楽しんでいるのを見て楽しむ、というのがその場のやり過ごし方です。
 大体、
「お仕事何ですか」
 と聞かれてどう答えたらいいものやら。医者とか銀行員とかパイロットとか、そういう、容易に想像できるものじゃないし。今思いついたのですが、そんな時は思いっきり嘘を演じるのがいいのかも。

 ところで、昨日タクシーに乗ったのですが、その時の運転手さんはウォンさんでした。漢字だと黄さん、フルネームだと黄徳光さんでした。おいおい、黄色の徳光ですか!
 それってやっぱり、24時間テレビのときの『サライ』を歌って大泣きしている徳光ですよね……と一人でつぼに入っていました。
 もしくは他に赤徳光、青徳光、黒徳光、桃徳光がいて、黄さんはありがちに、
「カレーの早食いが得意」
 だったりするのかなあ、と。合体して地球と長嶋茂雄を守るために戦ったり。

 「黄」以外の名字は多分存在しないか、稀なので、少し残念です。
 この妄想、同乗していたオヤジたちに説明するのがだるかったので、結局何も報告しませんでした。

2005年4月25日

(HK)弁明など

 予定通りに気恥ずかしくなってきたので、昨日の文章、早々に一段押し下げます。

 昨日のバーベキューでは、まず一人一本ずつ金串を持ちました。各自好きなアイテムを刺して炭火の上にかざし、じっくりと焼けるのを待ちます。典型例ではソーセージ、加えて冷凍シュウマイ、えび団子といったものもあぶられていました。やがてそれらの表面にいい感じに焼き色がついてきます。期待も膨らみます……ところが、その瞬間、あろうことか香港人は焼き色の上に蜂蜜を塗りたくるのです!

 香港人の味覚は違うと知っていたので、いくら蜂蜜を勧められても私はやんわりと断っていました。せっかくなので自分の好きなように食べたかったですし。けれども、辛抱強く串をくるくる回したりして待っていると、上方に位置する他人の串から、加熱されて粘度の低くなった蜂蜜が滴り落ちてくるではありませんか!

 まあ、結局そんな串を食べながら缶ビールを飲んでいました。味覚の違いはここにもあらわれ――酒類を飲むのは日本人だけでした。その味付けの串を食べながら、ダイエット・コーラって……さっぱり理解できません。ここは断然酒でしょう! あっ、これ、もう空か。じゃ、もう一本開けて……。

 なんて感じで、昨日はちょっと気分良くなるぐらいまで久しぶりに酔いました。そして勢いで、
「あの山の頂上まで行ってくる」
 なんて口走って、サンダルのまま挑戦したら藪の中で大変な目に遭いました。そして船に乗ったら、今度はずいぶんと自己陶酔してしまったのです。

2005年4月24日

(HK)複雑な日曜日

 同じような仕事をしていて、昼ご飯なんかも一緒に食べている、近い歳の日本人が日本へ帰ってしまいます。転職するとのことで。

 私自身転職を経験しているので、『同期』のような職場の人間関係というものは人為的なものである以上、ずっと続くものではないのだ、と承知しています。また、転職していったからといって、つながりが全くなくなるわけでもないのです。一年、二年のスパンでは会えないかもしれないですが、そのうちきっと機会があるでしょう。私は万事そんな感じで考えています。

 今日は送別会のようなのりで、船を借りてクルージングとやらを企画しました。一緒に働いている香港人のエンジニアも呼びました。無人島に渡って砂浜でバーベキューをするなんていう、今日本にいる家族には申し訳ないような娯楽をしました。費用はいつものアクティビティ――最高人民と日本食に行き、そのあと二次会で女の人が横に座ってお酒を作ってくれるようなカラオケに行く――と同じぐらいで済みました。今日のほうがよっぽどいい使い方でしょう。


 船がビーチを離れ香港の街へと戻っていく間、ぼんやりと景色を眺めていたのです。

 絶え間なくエンジン音がしています。明らかに日本とは違う、黄色っぽく明るい色彩をもつ岩肌が見えます。
 さっきよりも日が傾いてきています。けれども湿度が高いせいか空気は未だ生温く、それは香港の本気の夏には到底及ばずながら、南にいるのだということを思い出させてくれます。自分は今、こんなところにいるんだな、なんて。

 すると急に少し寂しくなりました。一人が日本に戻ってしまう、ということもそうですが、自分も後どれくらい香港にいる、いれるんだろう、などと考え始めてしまったので。加えてもう一つ、あることに気付きました。

 唐突ですがその時、私は『書く力』が欲しくてたまらなくなったのです。というのも、きっとだめな自分は『寂しかったことを忘れてしまう』――実はそれが『気付いたこと』――そしてそれがいやならば、思ったこと感じたことを表現しておかなければならない、と考えるに至ったので。

 プラスチックの白い椅子に座り海風を受けながら景色を眺めていた、そして色々と考えをめぐらした2005年4月24日でした。

2005年4月23日

(HK)平穏な土曜日

 短編、投票していただいた方ありがとうございました。第33期(4月26日発表)も、やっぱり相変わらずな作品を投稿していますので、よろしければどうぞ。私個人としては、第33期参加者の顔ぶれを見て圧倒されています。


 久遠さん(リンクはここでいいですか)に心配されたのですが、やっぱり全く何もないですね、香港では。
 日本語のyahoo! newsからいくつか辿りました。どちらかというと香港は、反日というより日本人観光客の減少を心配しているようです。
 本日土曜日、今のところ今週はデモは起こっていないようです。次は五月四日(五四運動に関係して)でしょう、もしあるとすれば。

 ……思い出したのですが、その週、日本はゴールデンウィーク、中国本土もメーデーがらみで大型休暇、でも香港は休みが一日しかないのでした。

2005年4月20日

(HK)いきなり!

 唐突に夏が始まったことを思い知らされたのです。

 Tシャツの上に長袖のシャツを着て――つまり上着として二枚着て会社に行っています。昨日今日と香港は良く晴れていて、朝ミニバスを待っている時など、袖まくったほうがいいかなあ、なんて考えていました。

 バス停にてしばらくそんな感じでぼんやりしていたのですが、突然あることに気付きました。そこらはやけに騒々しかったのですが……もしかして……これって……何と、セミの声がしていたのです。おいおい、まだ四月ですよ。
 会社が移転したため田舎度がアップしていることを、あらためて認識しました。

 ええと、反日についてちょっとだけ心配していたのですが、私のところでは今週、今までのところ全く何もありません。他のところはどうなんでしょう?

2005年4月17日

(HK)どうしようもなく

 Yahoo!ニュースに昨夜、
中国広東省東莞市の日系企業の電子部品工場で16日、中国人労働者数千人による大規模なストライキが行われた。
と書いてあったので、おいおい、どこだよ、うちの会社じゃないだろうなあと心配していたのです。『東莞』『日系』『電子部品』全部一致するので。うちの会社でも先週緊急に、工場の日本人に対して週末香港に戻るよう命令が出ていたので。

 結局今朝、香港のYahoo!新聞を調べて別の日本企業――一般人にはなじみが薄いかもしれませんが、業界内だとわりと著名な会社――だと判明しました。

 でも、一連の事件、やっぱりよく分からないことだらけです。今いる会社の若手で話してみても結論は出ませんでした。上のほうにいる偉い日本人(通称・最高人民)の考えが知りたいところです。

2005年4月13日

(HK)出張終了

 出張にかこつけて息子のお宮参りと娘の幼稚園入園式もこなして、本日香港に戻ってきました。東北は寒かったです。

 タイミングがタイミングだけに、会う人全てに、
「中国って大丈夫なの? 怖いねえ」
 と聞かれました。
 けれども正直言って、私はこの問いにどう答えたらいいのか分かりません。インターネットで片っ端からクリックしていろんな記事を読みましたけれども。

 「好き」の対義語は「嫌い」じゃなくて「無関心」

 上に挙げた句――どこかで聞いたような……――が、何となく思い出されて。

2005年4月7日

(HK)出張決定

 エンジニアをやっていてよかったなと思うことの一つに、服装にお金がかからない、というのがあります。結局作業服に着替えるので、会社の行き帰りは好きな格好――適当なジーンズとシャツで十分です。結果的に可処分所得が増大します。

 一応社会人ですから、スーツも持っています。けれども、それを着ることなんて滅多にないので、その少ない機会にはコスプレ気分になります。いや、ええと、コスプレなんてしたことがないんですけど、そういう趣味の人たちが味わう感覚が分かったような気になります。ちょっと妄想できます。
(あ) (最新のケータイを用いて)「課長、例のプロジェクト、取引先からGOが出ました!!」
課長  「よくやった。山中君、至急課のみんなを集めてくれ」
山中  「……すごいわ、(あ)さん」
 ここで山中君は美人秘書です。
 (『美人秘書』っていう単語、いざ使ってみるとずいぶん陳腐なことに気付かされました)

 そんな私が、東京――それも都庁の近く――に出張で行くことになってしまいました。元来田舎者なので、あのあたりは初めての訪問になります。コスプレ気分も最高潮に高まります。

 まあ、私なんかはスーツを着慣れていないので、実際のところ周りから『やり手ビジネスマン』のように見られることなんてありえないでしょう――せいぜい就職活動中の老け顔の大学生と受け取られるのが相当だろうと。

2005年4月5日

(HK)今週の出来事

 こんばんは。いきなりですが香港は明日4/5は清明節で休みです。先祖の供養をする大事な日らしいので、3/25の金曜と3/28の月曜――両方ともイースターに関係する祝日でしたが――を吹っ飛ばして勤務日とした会社も、明日だけはきちんと休みにしています。日本の皆様が働いているかと思うと、すいません、ちょっと優越感。

 今、勤務先から十人近くの香港の若いエンジニアが日本に出張しています。大体、日本への出張というと香港駐在の日本人が行くことが多いですし、そもそも、香港のエンジニアが日本に行くよりは日本人が香港に来ることのほうが圧倒的に多いです。ですから、彼ら彼女らにとって日本に行くというのは本当に貴重な経験だと思います。
 一週間いるらしいので、まあ今回は仕事ですけれども、それでも十分楽しんできてもらいたいと心から思います。

 日本の皆様も、怪しい外国語を話すいい歳した若者たちが、

ぎゃあぎゃあ騒ぎながら新幹線の中でお互いの写真を撮り合っていたり、
土産物屋で群れてキャラクターグッズを買い求めていたり、
食事が高すぎると不平を言っていたりしても、

 暖かく見守っていただければ幸いです。

 加えて、ぱっと桜でも咲いてくれれば、文句なしなんですが。

2005年4月4日

(HK)無用心な日本語

 昼ごはんを食べようと思って、適当な格好で部屋を出ました。エレベーターに乗り込むと中には先客の男女がいました。何か話しています。聞き耳をたてるつもりはなかったのですが、なにぶん狭い空間ですし――おまけに日本語だったので、結果的にその人たちのプライベートな生活がうかがえてしまったのです。
 私が日本人だということはバレておらず、また私が恐縮する必要も全くないのですが、なんとなくいたたまれなくなりました。そこで、エレベーターがグラウンド・フロアについた途端、私は彼らよりも先んじて外へと向かったのです。

 まわりの人が日本語を解さないだろう、と思い込んでいるためでしょう、かなり私的な内容や企業秘密っぽいことを雑踏の中で大声で話してしまう日本人をたびたび見受けます。きっと一種の開放感があるのではないかと推察します、そういう行為には。

 ところで、私の住まいには管理人さんがいます。彼にはいつもお世話になっています。私は朝と晩きちんとあいさつしています。
 で、彼は今日もにこやかに扉を開けながら、
「こんにちは」
 と私に日本語で語りかけるのです。私は後ろにいる男女の驚きの視線を感じつつ、平穏を装ってあいさつを返したのでした。

2005年4月2日

(HK)外でインターネットしてみる。

 会社の近くにある、ほとんど唯一といっていい食堂は、いつも何を食べようか迷ってしまうほどにメニューが貧困なのですが、なぜかワイヤレスLANが使えることがわかりました。
 で、今、8.5HK$の紙コップのコーヒーを飲みながらぼんやりとネットにつないでいます。

 香港の部屋ではモデムでつないでいます。なので、ワイヤレスLAN――帯域の広い線でつないだら、さぞかし高速にインターネットができて快適だろうなと思っていたのですが、いつものページを訪問するぶんには正直あまり変わりがありませんでした。かといって特に行きたいところもなくて。ここは広い食堂で、遠くに数人座っているのみで、自分の周りには誰もいないのですが、どことなく落ち着かないのです。

 次の時までにどこに行くか考えておきます。こういうことは予習が大切です。

2005年4月1日

(HK)七年生突入

 ここは香港なので、特に四月一日から何かが始まる、なんてことはありません。でも振り返るとちょうど六年前社会人を始めたのです。研究室の教授のコネでろくに就職活動もせずに入った初めの会社には、結局一年ちょっとしかいませんでした。
 そして昔思いもかけなかった場所に、今います。

 いや、後ろを向いていちゃだめなんだ。

2005年3月30日

(HK)捕捉される。

 夜遅く、会社から帰ろうと止まっているミニバスに乗りました。わざわざ後ろのほうで座席を確保してくつろいでいると、後から乗り込んできた見知らぬ人が私にジャパニーズなお辞儀をしてきて。一瞬戸惑ったのですが、向こうから、
「この前お会いしましたよね」
 と話しかけられたので、そこで、ああ隣の日系企業の方ですか、と納得したのです。

 それにしても、食堂のメニューの前で名刺交換しただけの人の顔を覚えているなんて、と驚いてしまいました。香港の若者の場合、中国人男性と日本人男性であまり顔の違いはなく(女の人の顔は異なるような気がします)、服装も同じ仕事だと自然と似てくるので、自分はもう完全に同化していると思っていたのですが。

2005年3月29日

(HK)ケータイ哀歌

 日本のケータイって使ったことないから分からないんですけれども、何でも、最近は香港のそれと同じようになってきたそうで。

 香港の場合、ケータイはどこまでいっても電話のための箱で、自分の電話番号やアドレス帳といった個人情報は全てシムカードと呼ばれる小さいカードに収納されています。ご存知の人も多いと思います――電池パックの裏に装着する、あれです。
 なので、シムカードを入れ替えさえすれば機種変更が簡単にできるのです。例えば電話機をたくさん揃えて毎日気分でとっかえひっかえするというのも、それがどれだけ意味あることかは別として、趣味として可能です。
 このシムカード方式(正式名称は分かりませんが)を最近では日本の携帯電話会社(キャリア)も採用している、のですよね?

 ところで、ここでポイントとなるのは『日本のケータイが諸外国に比べて異様に安い』というところです。当然それはキャリアが契約獲得のツールとして新機種を位置付けていて、購入に際していくらかの補助金を出している――それはあとから通話料として回収される(できると考えている)――からなのですが。

 この低価格及び斬新な機能という日本のケータイ事情が香港では垂涎の的です。そして今、方式が統一されているとなれば、『日本でケータイを買って(その後に電話契約を適当に解約して)、香港のシムカードを入れて使えばいいんじゃん』ということになります。実際にはさらにひと手間必要なので、なかなか誰でもそのようにできるわけではないようです。

 この行為、キャリアから見ると補助金泥棒以外の何物でもないのですが、でも、過当競争の結果、真っ当な工業製品が1円とかで売られているのを見てしまうと、エンジニアとしては泣けてくるんです――どちらかというと日本のキャリアがバチあたりなんです!
 だって、結構な画素を積んでいるデジカメだったりするんですよ、見方を変えれば。

2005年3月26日

(HK)焦土作戦遂行

 ライブドアとフジテレビのごたごたについて何を語るのかと思えば、
「ライブドアっていうのは、ヤフーみたいなもんですね」
「ほら、インターネット検索するでしょう、そうそう、googleもそうですけど」
「それだけじゃなくってライブドアは無料のプロバイダーもやっているんですよ」
 なんて、おいおい、真顔で得意げに説明することじゃないでしょう! この前の日本人飲み会の一コマです。ちっ、おやじどもめ。そこ!! 頷いている場合じゃない!!! と心の中で毒ついてました。
 そりゃあ、香港にいて日本情報にちょっと疎くなっているかもしれませんが、単に(あっているかどうかも定かではない)知識をひけらかして自己満足すんじゃないぞ、と。それからどう話題を広げればいいのやら。

 困った私は、
「ポイズンビルだとかホワイトナイトだとか、後なんでしたっけ、そういうカタガナがたくさん出てきましたよね、ああいうのって絶対楽しんでますよね、当事者たち」
「『こうなったら、ポイズンビルしかない』って言いつつ、その雰囲気に酔ったりしてるんですよ、きっと」
 などと、振ってみたのですが、おやじたちは曖昧に笑うばかりで。どうやら不発でした。

 仕方がないから検索です。やっぱりクラウンジュエルでよかったのか……。

2005年3月22日

(HK)日本人との接触

 店の入り口の壁には色々とメニューが掛かっています。客はそこで何にするのかを決めた後、レジへと向かいます。実際の注文はレジにて行うのです。
 つまりこのシステムには、(1)自分が食べたいものを中文で記憶する (2)メニューを広東語で発音する という、外国人には厳しい二つのハードルが内在しているのです。それで大抵、メニューにあり注文も楽な『カレー』だとか『チャーシュー飯』だとかに走ってしまうのです。

 今日もその店のメニューの前で、日本人の同僚と二人熟考していました。一週間もいると大体の料理は挑戦済みだったので。
「どれにする?」
「これはこの前食べたし」
 なんてしゃべっていたのです。すると、突然後ろから、
「日本の方ですよね」
 と話しかけられました、日本語で。

 話を伺ってみると、隣のビルに入っている日系企業の方でした。なんでも私たちよりも前に、この地域で働き始めたそうです。そしてその方たちが言うには、今までここらに日本人は全くいなかったとのことで。

 だからと言って、店の前で突然名刺交換を始めるのはどうかと思うのです。いやそれとも、そういった行為は常識であり、考えも及ばなかったのは私の社会人スキルの低さゆえ、なのでしょうか。見たことのあるロゴが彼らの名刺にしっかりと載っていました。

2005年3月21日

(TEXT)投稿はまだです。

 『短編』書き上げました。
 で、気付いたのですが、もしや日本の皆様は月曜日お休みなのではありませんか? え、私ですか。休みなんてないです。正確には香港では来週イースター関係の休みがあるのですが、会社が中国本土の暦を適宜採用するので、吹っ飛びました……。

2005年3月17日

(HK)中国本土からの電話

 何度か書いているのでご存知の方もいると思うのですが、香港の人々は普段広東語で話をしています。それに対して、中国本土では別の言葉(普通話)を共通に使っています。
 この普通話、履歴書上ではどの香港の人も「並に」話せることになっていますが、あくまで就職用、修飾用にそう書いているだけで、実際のところ大して話せないようです。英語に対する苦手意識を未だ払拭できていない私が言うのもなんですが。


 今日、電話が鳴ったので出ようとしたところ、隣の人が代わりに取ってくれました。しばらく彼女の様子をうかがっていたところ、どうも普段とは違う言葉を使っているようです。やがて、電話番号を書き取っているのか、数字を読み上げ始めました。そこで普通話だと確認できました。普通話の一、二、三、四は日本の麻雀用語とほぼ同じです。
(普)イー、アー、サン、スー
(広)ヤッ、イー、サン、セイ
 やっぱり普通話は苦手なためか、彼女は何度も何度も復唱しています。


 かなり長い時間話した後、彼女は受話器を置きました。やつれた様子の彼女に、
「Mandarin(普通話)?」
 と、私は聞いてみました。中国本土からかかってくることなんてめったにないので(たいていは配慮して英語を使ってくれるので)。
 すると、堰を切ったように彼女はしゃべりだしたのです。もう全然わかんない~、というような親しみ口調の言葉だと思うのですが、でも、混乱しきった彼女の口からは広東語だけが飛び出してきます。
 ひとしきり騒いだ後、ようやく私が日本人であることを思い出してくれたようで、
「Sorry...」
 と、英語にスイッチしてくれました。


 ちなみに、「Sorry」や「thank you」だとかの語尾に、『{口拉}』(らー)をつけると香港人っぽくなるのでおすすめです。『さんきゅーらー』といった感じで。そうやって香港の英語の真似をすると、親密度がアップしたような気分になれます。

2005年3月15日

(HK)初めての店では、とりあえず凍鴛鴦

 『毎日違ったお店で昼食を食べられる』ということが実はとても贅沢なことだったのだと、改めて感じさせられました。新しい職場の近くにはまともな(普段使いできる)店が一軒しかないのです。
 日本で学生やったり働いたりしていた時は、ずっと学食だの社食だのを愛用していたので、今回それに戻っただけなのですが。でも人間贅沢を知ってしまうと、昔には帰れないもので。

 カフェテリア形式のその店の、先払いのレジのところで、今日私は勇気を出して凍鴛鴦をオーダーしてみました。というのも、こういう効率重視の店では拒絶されることがあるので。
 幸い、大丈夫だったらしく、店員さんはレシートに『C央』と書いてくれました。Cold鴛鴦の略称のようです。それを持って私はトレーをレールの上で引きずりながら飲み物のコーナーへと向かいました。
 ところが、そこで私は見てしまったのです。黒い液体と茶色い液体と白い液体を大雑把に混ぜて凍鴛鴦を作っているところを! 一口飲んでみると、既にまったりとした甘さを誇っていました……。
 座っているところに注文を取りに来てくれるような店だったら、必ず『凍鴛鴦・少甜』と甘さ控えめをオーダーするのに……。黒いのと茶色いのと白いの、どれかがデフォルトで甘いんです、多分。あの製法じゃあ、きっと少甜にするのは無理で、というより、実際のところ凍鴛鴦がオーダーできたことに感謝するべきだったのかもしれなく。

 細かいことだっていうのは分かっているのですが、また個人的な思い込みもかなり入っていますが、香港生活では食事は大切なんです!

2005年3月13日

(HK)約一年半後の気分一新

 延び延びになっていた会社の移転がついに実施され、ぼろぼろのビルから外見と眺望だけは素晴らしい建物へと勤務場所が変わりました。土曜日に引越しをすませたばかりなので、まだ中身が本当にいい=問題がないかどうかは確認しきっていません。容易には信じない、これは私が香港で学んだことです。
 個人的にはまたまたいろいろな発見があるのではないかと、前向きにとらえています。実は、そうでも思わないと通勤時間が長くなるネガティブな面だけが目に入ってしまうので。毎日30分も早く起きられるだろうか……。

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 結局今週いっぱい熱だとか声が出ないだとかの症状のため薬を飲んでいました。長引いたのは、ほこりの中で引越作業していたからかもしれません。

2005年3月8日

(HK)風邪が治ったと思ったら

 お医者さんに3種類も出してもらった薬は大変よく効いて、鼻水も止まりのどの痛みもなくなったのですが、今日の昼近くになって突然声が出なく、いや、出ることは出るけれどもひどくかすれてしまうようになりました。香港の薬はきつい、という噂を聞くので根拠なく薬を疑ってしまいますが、一方、きちんと診察してくれた先生のことは信じたいし……。

 日本語を話すのもきついのだから、英語を話すのはそれはもう大変でした。
 すいません、もっと大変なのはそれを聞いてくれた人々でした。

2005年3月6日

(TEXT)ぼうけんのたび (作者: (あ))


 庄子のキスはいやらしかった。いや、キスとは本来そういうもので、唇が重
なってしまった以上、それが今までの関係――お互いにケータイの番号を教え
あったことや、それから発展して彼女の家へと招待されたこと――よりも重大
な意味を持つことは明らかだった。庄子はずっと目をつぶっていたけれど、舌
だけは機敏に動かしていた。僕の舌を求めるように。
 ためらいがなかったといえば嘘になる。二人は立った状態でキスしていて、
僕は左手を庄子の腰に回していた。右手は彼女の頬を触っていたのだが、意を
決して胸へと転進させる。するとそこで僕は思いがけない弾力を感じた。
 けれども次の瞬間、庄子は唇と体を逃げるように離したのだ。
「ねえ、佐々木、今どういう状況か分かってる?」
 こちらを見つめながら庄子が問う。僕は答える。
「庄子の家に呼ばれて、庄子とキスして、庄子の胸を触ったらノーブラだっ
た」
「大事なところが間違っているんだけど。もしくはわざと忘れている? 私の
名字はもう庄子ではなくて、早坂。さっき説明したでしょう」
 なぜか僕らは名字で呼び合っている。
 元・庄子、現・早坂はソファーに座るよう僕を促した。その後、避難させて
おいたトレーをコーヒーテーブルへと運んだ。実のところ、トレーを持ってキ
ッチンから出てきた早坂に、僕がキスを仕掛けたのだった。
「少しさめちゃったかもしれないけど」
 僕の向かいに座って早坂は言う。
「いや、まあ……。いただきます」
 テーブルの上に置かれたばかりのカップを、僕は手に取る。独特の香り。
アールグレイ。
「佐々木、一時期紅茶に凝ってたなあ、と思って」
 いやいや、あれは女子――特に庄子――にモテたくてやっていただけで。恋
愛経験のない男子高校生の恥ずかしい所業だから、今更蒸し返さないでいただ
きたい。話題を変えたかったけれど、どう持って行ったらいいか分からなかっ
たので、僕は天井を向いて黙ってゆっくりと飲み続けた。やがておもむろにカ
ップを下げながら早坂の様子をうかがうと、早坂もまさに同じ体勢でこちらを
見ている!
「ねえ、佐々木、どうするの、これから?」
 カップの中身が少なくなってきたころ、再び早坂が問う。冷静に飲んでいる
場合ではなく、まして茶葉について語る局面ではないことも歴然としている。
「さあ、どうしようか」
「ハッキリ!」
 とても見事な高校時代の英語教師のモノマネだったが、それに感心してはい
られない。
「カオリとセックス、したい」
 努めて平然と言ってみた。今の僕の姿はどう映っているだろう?
「私も」
 けれども早坂カオリはハッキリとは言わなかった。ちっ、人妻め。

(TEXT)『短編』第31期と雑感

 今読み直すと、この記事、『短編』第31期にはほとんど触れていないような気がしますが……。

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 近頃「ゲームばかりしているので、現実と虚構との区別ができない」と叫ばれています。ところが実際は、ゲームが有識者や年寄りにとって理解不能なため敵視されているのに過ぎない、と考えられます。
 一方小説はというと、「活字離れ」とかいわれる現状下、有識者や年寄りから推奨されています。だからといって小説が常に「正しい」かというと、おそらくそんなことはなく。
 小説もゲームと同等、もしくはそれ以上に若者に対して影響を及ぼしうるのです。良いものは人間を成長させ、悪いものは邪な心を巣くわせる。ただそこで現実に心を悪に支配されるかどうかは、当然別問題でしょう。
 とまあ、誰かの受け売りのようなことをえらそうに書きましたが、31期でお勧めするのは狂気とか破滅とかをきちんと描写している次の二つです。万人に好まれがちな「感じのいいもの」「楽しいもの」を拒絶している作品です。

プルシャに会いに行く るるるぶ☆どっぐちゃん さん
暗い日曜日 曠野反次郎 さん

 一方、『プルシャ』には「美しさ」、『暗い日曜日』には「弱さ」があります。こういう訴えかける何かがある作品こそ評価されるべきだと私は思います。


 ところで、梅田望夫さんが引用している文章をさらに引用します。(現在、梅田さんの元記事はプライベートモードになっていて見ることはできませんでした)

■ 車谷長吉「文士の魂」
「日本の戦後の大衆文学を領導してきたのは、山本周五郎、松本清張、司馬遼太郎の三人だった。」
「周五郎の世界は基本的に諦めと辛苦の生活の先に、一筋の光を見るものである。」
「松本清張の世界は、才能がありながら、学歴がないが故に、世の底に埋もれて生きざるを得ない人達の、怨みと憤りの文学である。」
「周五郎の主人公たちが諦めの底に一筋の光を見出して行くのに反し、清張の主人公たちは自らの運命と闘いながら、絶望と破滅の淵へ沈んで行く。」
「無一物になったころ、清張をくり返し読んだ。いや「慰め」を求めて読まないではいられなかった。」
「司馬の小説は日本歴史の、あるいは日本社会の指導層にある人々を描いたものである。」
「私は司馬文学のそういう臭みを、読む前から嗅ぎ取っていた。だから上司や同僚からいくら「お前も読め。」と言われても、頑として読まなかった。」
「世の大衆はそれぞれに己れの心ざまの色に添うて、これら三人の文学を読んできた。」


 例えば「司馬遼太郎ばかり読んでいたので、会社の理不尽な命令に逆らえなくなってしまった」という感じでしょうか。

 私はエンジニアですし、勤務している会社は製造業なので想像の域を出ないのですが、また過去の話なのかもしれませんが、例えば金融業とかだと、幹部候補社員の出世コースとして香港駐在が位置付けられていたようです。そういうところの「デキる社員」が多いせいでしょう、香港そごうの旭屋書店(当地最大の日本語本屋)には、司馬遼太郎文庫本コーナーが設けられています。遠目から見ただけで分かります――棚が黄色に染まっているのです! 補充にかかる日数を考慮してか、「竜馬がゆく」とか「坂の上の雲」だとか、どの巻も二、三冊ずつ置いてあるし……。車谷の言葉を思い出し、「ご苦労さまです」と感じました。

2005年3月5日

(HK)風邪

 『短編』に風邪の話を投稿したとたんに、本当に風邪になってしまいました。かなり具合が悪かったので、昨日の夜はあきるほど寝ました。そして今朝、近所の病院に行きました。そこの先生はなぜか片言の日本語が話せます。体の不具合を表す英単語なんて知らないので、「だるい」とか「鼻水」とか分かってもらえるのは助かります。

 ところが病院で熱を測ったところ、37度もありませんでした。私の場合、いつもそういう感じで。つまり、熱がないことは喜ばしいことなのだけれども、「たいした熱でもないのに、大げさな奴」と思われることを心配してしまったり。そんな体面を気にしてどうする、とよく家族には言われるのですが。

 風邪の友といえば、電解質補充飲料「寶礦力水特」でしょう(寶=宝の元の字)。中国でライセンス生産されているようです。おなじみの青いラベルの1.5リットルのペットボトルを買ってきてひたすら飲んでいます。

2005年3月4日

(HK)ひな祭り

 娘がさんざん楽しみにしていたはずなのに、うっかりしていて電話しなかっただめな父親です。娘に『ぼんぼり』呼ばわりされた話を、同僚(香港人)に話したところ「あなたが娘を明るく照らしている、ということではないのか」とフォローされました。お気持ちはありがたいですが、それは無理ありありです。大体3歳の子にそんな高度な比喩が使えるわけもなく。

 節句について説明しようと四苦八苦して検索したところ、節句は計五つある(しかない)ことが分かりました。とりあえず『端午の節句』は現代中国にも残っているようです。

 

2005年3月3日

(HK)納税します。

 確か人生ゲームかモノポリーかいただきストリートか、そういったゲームには「税金を払う」みたいなマスがます目があって、止まると全資産の何%かが持って行かれたような記憶があります。香港の税金もそれらと同じぐらい簡単です。

 まず給料明細からして単純なのです。契約書にあるのと同じ金額がぽつりと書かれています。銀行の口座で確認すれば事足りるので、最近は明細を見なくなりました。

 労働ビザで働いている外国人は大抵固定資産などないので、年間の収入だけが課税されます。一年分全部足し合わせて、それから控除を引いて、結果残った金額に税率を適用すればおしまいです。

 とまあ、余裕な態度をかましていますけれども。
 突然どさどさどさっと書類が送られてきた時には、さっぱり何が何だか分からなくって。ことがことだけに、誰かに相談するというのも気がひけて。放っておいたので追徴課税になりかけたことは秘密です。

2005年3月2日

(HK)二月はあっという間に過ぎて行き。

 一年ぶりに中国に日帰り出張でした。この前は会社の他の人と一緒だったので、今回は『はじめてのどんがん(地名)』でした。気分的にひらがなで。もう大人なので誰もほめてはくれませんが。

 往復で計3時間近くバスに揺られました。当地に着いてもミーティング一つに出ただけでした。労働的には香港にいるときよりもずっと楽なはずですが、今結構だるいです。とはいえ、こうやって更新できるということは、疲れていない証拠であったり。

 やっぱり中国は香港とは違う『国』です。車は反対を走っているし(香港は日本と同じ)、漢字は略されていて読めないし、至る所にお巡りさんがいる(ような気がした)し。話には聞いていたのですが、中国はまさに車ブームのようで、幹線道路にはピカピカの世界各国のディーラーが建ち並んでいました。広州本田だとか、上海GMだとか、中国の地名がついているところがポイントです。


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 日曜日に『さんぱち』薯片を一袋買いました。会社でみんなで食べたところ、それなりに大丈夫な味だったので、安心してさらに二袋買いました。
 けれども二袋を一人で空けるのは健康に悪そうです。やっぱり会社に持っていって、今回は日本人の後輩に押し付けたいと思います。


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 北村さんの徒読経由で結城浩の日記に通うようになって、そしてGmailのアカウントをもらいました。
 結城さんはソフトウェアに造詣が深かったり、クリスチャンであったりしますが、私は文章を書く心がけが一押しです。海坂さんから一言いただく前に、こういうものの一つでも探して読んでおくのがいいのではないかと。えらそうですいませんが。
(何をもって優しいと定義するかはそれぞれですが、私は海坂さんは優しいと思います)

2005年2月28日

(HK)『ラーメンさんぱち』が大変なことを。

 今週一週間、日本のお客さんに香港まで来てもらって、一緒に仕事をしていました。接待というほどではないのですが、普段の私の夕食よりは少しいいものを食べてもらうためにタクシーに乗って出かけたときのことです。タクシーの運ちゃんがかけていたラジオが、広東語の歌に代えてBoAのアルバムの曲を流しだしました。私は不必要にドキドキしてしまいました。結局、それについて会話で触れるということはなかったのですが。
 冷静に考えると、その局面で詳しい説明を加える必然性は全然なく、まして自分がそのアルバムを買ったなんて、話さなければいいだけのことで。

 お客さんの一人が、去年の4月に社会人になったばかりで、今回が生まれて初めての海外、とのことでした。彼を見ていると、自分のちょっと昔のことを思い出しました。私の場合、初めての会社をわずか一年ちょっとで辞めてしまってから、気付いたらこうして香港に流れてきてしまっています。


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 『ラーメン』が日本の食べ物であるというのは厳然とした事実です。香港にはいろいろな種類の麺があって、どれもおいしいです。けれどもいわゆる『ラーメン』とは違うのです。
 というわけで、『本場日本の』と名乗るラーメン屋が香港には存在し、地元の人々にも結構人気だったりします。

 札幌ラーメンの『ラーメンさんぱち』はその中でも新参で、去年の秋に尖沙咀(ちむさーちょい)に開店しました。同僚と一度だけ行ったことがあります。日本のと全く同じ、ベーシックな味噌ラーメンをおいしく頂きました。

 ところで、今日スーパーに行ったところ、その『さんぱち』の露骨なタイアップ商品――卡楽B(カルビー)の『さんぱち』味薯片(ポテトチップス)を発見したのです。日本のそれと(おそらく)違うのは『ポテトチップスを三袋買えば、店でのラーメンが一杯タダになる』と妙に現実的に太っ腹なところです。

 7.2HK$ x 3 = 21.6HK$ で45HK$のラーメンが食べられる。
 (計225gの薯片ももれなくついてきます)

 これって採算取れるんでしょうか?

2005年2月21日

(HK)ミラクルホイップと私

 スーパーに行ったら『雪吻・豪華包装版』が3セットで110ドルでした。旧正月明けに暴落したようです。でも3つもいらない。

 今の職場には結構日本人がいるのですが、日本のモノに対する態度というか執着がそれぞれ違っていて興味深いです。例えばある人の場合、割高だろうが何が何でも日本製じゃないと気が済まないようで、食材も日用品も全てジャスコで、衛星版の日本の新聞を購読し、おまけにドラマも海賊版VCDで一クール遅れですがきちんと視聴しているようです。
 また、買い物はスーパーよりももっとローカル色の強い「街市」で済ませるくせに、夜飲みに行くときは必ず日本食を選ぶ人もいます。

 私の場合は、それがまっとうな値段かどうかが判断基準です。観光地で割高の缶ジュースを買わない、それと同じような考え方です。例としては、現地生産のヤクルトを愛飲してます。また、無印良品の文房具はほとんど値段差がないので、これも愛用しています。

 ところで、マヨネーズを買いに行きました。当然日本製は割高なので選択肢から外れます。売り場には欧米メーカー――クラフトの製品がありました。聞いたことのあるブランドなので、安心してそれを買おうと思ったのですが。

 チューブに入っていて、キャップが赤くって、黄色っぽい粘性の流体なのですが、マヨネーズではなく『ミラクルホイップ』なる商品名がついているのです。大きいパッケージも、小さいパッケージも、カロリー控えめバージョンも、みんな『ミラクルホイップ』一族でした。『マヨネーズ』と名乗りを上げているのは売り場の隅に転がっていた小さな小瓶だけで。

 結局、買ってきて家で試してみたところ、日本で普通に使われているマヨネーズよりも甘みが少ない=酸っぱいような気がしました。これはこれで使えそうです。でも、中文名称『奇妙醤』はどうでしょう……。

2005年2月19日

(HK)『BEST OF SOUL』を聞いています。

 何となくTwinsのCDでも買おうと思っていたのです、はじめは。というのも、旧正月の日本への往復にキャセイパシフィックを使って、機内でずっと広東語の歌を聴いていたので。Twinsはこちらで非常に人気がある女性二人の「組合」なので、アルバムを買えばきっと知っている曲が入っているだろうと考えたのです。

 ところがCD屋に行ってみると、どうも今は端境期のようで、いくつか置いてあるもののうち、どれが新しいのか、どれがよく売れているのか、はっきりしない状態でした。そんな中から選ぶのはなあ……と迷っていたのですが、結局、店内で流れていたBoAの『BEST OF SOUL』を買うことに決めました。

 いや、実際それは奇妙でした。CD屋に入ると日本の女性の歌が流れているのですから。疎い私はその時点では誰だか分からなかったのですけれども、やがて上記アルバムが「Now Playing」と掲示されたコーナーにあるのを発見したのです。CDとDVDが一枚ずつ入っていて95香港ドルでした。ポスターをおまけにもらいました。

 95香港ドルは約1300円なので、えっ、と私は驚いたのです。パッケージをよく見ると『この商品は、専ら次の地域(台湾、香港、中国、韓国、シンガポール、タイ、マレーシア、フィリピンインドネシア国内のみ)での頒布用にライセンスされたものです。』と日本語と英語で書いてありました。まさかこれがamazon.co.jpで3510円もするとは! 本当に全く同一のものかどうか確認していませんが、日本語の歌詞の冊子もきちんとついています。加えて繁体字に訳してある冊子も入っていました。

「コンビニでお茶選んで」→「在便利商店選了罐茶」

なるほど。確かにこの文脈で「煎茶にしようか番茶にしようか、お茶の葉を選んでいる」というのは不自然ですし。

2005年2月15日

(HK)初出勤日は情人節

 一週間休みを取って、今日が初めての出勤日でした。始業からずっと、私はたまったメールの処理に没頭していました。一時間ぐらい過ぎたころでしょうか、ふと周りを見渡すと、同僚たちがそわそわしているのです。

 一人が席を立ちます。つられて別の一人も立ちます。立った人々はやがて列をなし、龍のごとく、ジェンカのごとく、下流域の川のように蛇行して机をかわしつつ、既婚者もしくはマネージャークラスの人間へと襲いかかるのです。

 とまあ、大げさに書きましたが、「お年玉(利是)をもらいに行きたいけれども、一人だとちょっと……」という心理が、彼らを群衆化させるのです。私のところにも一列に同僚たちが並んだので、正月的あいさつをしつつ利是を手渡しました。

 ところで、今日は情人節(バレンタインデー)です。都市日報の小さなコラムでもそれを話題にしていて。「『我愛{イ尓}』を他の言語ではどのように表現するか」というのがまとめてありました。

 英語は無難に『I love you』でした。一方日本語はというとローマ字で『Aishite Imasu』なのです。

 わざわざその言葉を使うことで「たどたどしさ+生真面目さ」を演出できるのだ、そしてその結果恋が成就するのだ……というところまで狙っていたのなら、なかなかやりますね、都市日報さん。

2005年2月9日

(JAPAN)休みの過ごし方

 みんなが寝静まった後、こうやってネットを見ています。

 まだ一ヶ月近くも先のことですが、娘はひな祭りがとても楽しみだそうです。曰く、自分は『おひなさま』なんだとか。その一言で親ばかモードに入ります。
 ところが、ほほえましくそんな話を聞いていたところ、娘は言い放つのです、
「パパは男の人なので、『ぼんぼり』!」
 と。
 お内裏さまじゃなくても構いませんから、人間扱いしてもらいたいです。
 

2005年2月6日

(HK)恭喜發財!(お金持ちになれますように)

 いよいよ来週は旧正月です。私は明日から約一週間日本に帰ります。

 やはり盛り上がりという点で、旧正月のほうが勝っています。勤めている会社でも赤い紙をぶら下げたり、小さいかんきつ類の鉢植えを飾ったり、年に一度のデコレーションをしています。
 大切な行事である、というのは香港の人々からも伝わってきます。曰く、正月には赤い服を身に着けなくてはいけないだ、下着もだぞ、この時期だけ特別に市がたつからそこに行って買ってこい、といった感じの、おそらく友達思いらしいアドバイスもくれます。

 さて、そんな一環で團年飯なる忘年会のようなものに参加してきました。職場のエライ人抜きで一緒に夕飯を食べたのです。それはまさに『飯』でした。全くお酒は出てこなく、丸テーブルを囲んで三時間ぐらいの間ひたすらお互いお茶を注ぎあいました。
 お店の壁には平面薄型のテレビがありました。みんなご飯を食べながら、弁髪の人が出てくる時代劇だとか安っぽい現代ドラマだとかをちらりちらりと見たりして、基本的にだらだらと過ごしました。日本の『飲み会』とは大きく違うスタイルです。
 でも、次第に分かってきたのです。彼ら彼女らは仲間と共有するああいう時間が好きなんです、きっと。お酒が入ると変に勢いが付いてしまい雰囲気が失われる、そう考えているのかもしれません。

 ところで、会社の面々がこのように日本人に旧正月風習を説くのには、おそらくある事情も関係しており――多分「お年玉(利是)を忘れるなよ」ということなのでしょう。
 というのも香港では新年の初めの出勤日に、上司から部下へと、もしくは、既婚者から未婚者へとお年玉を渡す習慣があるので。
 彼ら彼女らが本当にそれを楽しみにしていることが時々伺えて、渡すほうの立場の私は心の中でにやりとすることがあります――いや、悪い意味ではなくて。

2005年2月1日

(HK)全港愛牙運動からのお手紙

 やっぱり中国ですから、ここぞというところでは四字熟語で決めてきます。おもてには干支にちなんだらしく大きく口を開けたひよこが描かれていて、その周りにこう記されています。

迎春接福
笑口常開
牙肉健康
人見人愛

[適当な訳]
春よ来い。幸せ続け。
笑った口を、大きく開けて、
歯も歯肉も健康だ。
人に会って人を愛そう。

 とまあ、少しでも語呂がよくなる様に工夫してみましたが、やっぱり意味不明であることには変わりがありません……。もうお気づきかもしれませんが、「牙」=「歯」であり、これは『歯を大切にしましょう』という趣旨のスローガンのようです。

 このお手紙は香港衛生署から各戸に配布されていたようですが、驚かされたのは「愛牙光{石(喋-口)} 第二輯」なるCDがもれなくついてきたことです。それも、Vol. 2とは! 内容はTVのCMとか、情報番組を編集したものだとか、歯ブラシやフロスの使い方だとか、「ためになりそうだけれどもあえて見ないだろうな」と思うようなものばかりでしたが。

 ところで、こんな説明で満足できず「歯の健康についてもう少し知りたい!」と思われる方は、24小時口腔健康教育熱線: 2713 6344に電話されることをお勧めします。って、すいません、太字の単語が妙にチカラが入っているような気がして、単に書き写したかったのです。さすがはお役所! という感じがして。
 ちなみに「熱線」=「Hotline」です。この手のセンスも大好きです。

2005年1月31日

(TEXT)そうですか、恋話ですか……。

http://sky.zero.ad.jp/~zbn53957/ (158)




 ええと、西直さんのところではめられたので。ここを見た人は次に恋話しか書いちゃいけないようです。ええ、コピー&ペーストしました。
 30にもなって、既に結婚しているのですが、恋話ですか。ところでリアルでは使ったことないですね……「コイバナ」なる言葉。

 共学だった高校生の頃にもっと何かあってしかるべきだった、と思います。テニス部に入っていたのでプロパティとしては問題がなかったはずですが、狂ったように放課後も朝も土曜も日曜も練習をする部活だったので、結局3年間何もなかったんです??すいません、きっと自分自身に問題があったんです。
 それは置いておいて、でも、ずいぶんと幼い生徒たちだったのではないかと思います。都市部の公立の学校だったのですが、偏差値のスライスでかなり均一な人々が集まっており閉じた世界でした。今思えば「実は、大学生と付き合ってるんだー」なんて『すすんだ』女子がいても不思議じゃないはずですが、何故かどのカップルも同じ学校の同じ学年同士だったような記憶があります。
 決定的に不足していたのは「付き合って何をするか」ということだったのでしょう。男同士で話してもみな同じように経験がないので「誰それが好き」レベルで終始してしまい、全然中学の時と変わらなかったような気がします。

 それでも付き合ってみたかったわけで。

 同じクラスに気になる女の子がいて。放課後に会話が結構盛り上がって。でも帰らなくてはいけなくなり。雨が降っていたものの、話は尽きないし。ノリで「一つ向こうの駅まで行こうか」ということになり。小一時間かけて歩き。着いたあとも改札の前でしばらくしゃべっていたものの。バレンタインデーの話題になったところで「そろそろ帰る」なんて切り出されてしまい。結局だれかに話を聞いてもらいたかっただけで、親しい関係なんて望んでなかったと思い知らされ。ふと気付くと傘の差し方が悪かったせいで自分の背中はびっしょり濡れており。急に恥ずかしくなり。

 ちょうど今ぐらいの季節だったような気が。
 思い出せば初めて「サイゼリア」に行ったのもその女の子とでした。きっと自分だけがそういう体験??ファミレスに行く??で舞い上がってしまってたんですね。向こうは何とも思ってないのに……。

 以上、本当にささやかながら恋話(のようなもの)でした。次、みなさまのを期待してます!

2005年1月30日

(HK)雪吻3

 金色のフィルムをはがすと、個別包装された雪吻たちが現れました。彼ら彼女らは5x5で25分割された升目一つ一つに行儀よく鎮座していたので、一目見ただけで24個あると分かりました。そうです、実は中心の升目は隆起しており、「Meltykiss」と商品名を説明することにのみ費やされていたのです。ビンゴカードの中央があらかじめ開けてあるのとはえらい違いです。

 繰り返しますが24個で約600円は高いと思います。ケチでそう思うわけではなく、不必要な装飾をした挙句、それしか入っていないなんて許されない、と。
 加えて、香港居住の私は去年の夏に見てしまったのです――おそらく昨シーズンの残りであろう雪吻(通常パッケージ)が、大量に在庫処分で売られているのを。

 似た光景は香港のジャスコでも目撃したことがあります。そこでは数年前の「百獣戦隊ガオレンジャー」のおもちゃが堂々と売られていたのです。ただしガオレンジャーの場合広東語の吹き替え放映を伴っていたので、まだましだったのかもしれません。

2005年1月29日

(HK)雪吻2

 タバコは吸いませんし、お酒は飲めるけれど自分からは積極的に飲まないほうの人間ですが、腹は人並みに減ります。なので、夜だらだらと会社に残っていたりすると空腹が我慢できなくなり、甘いお菓子を食べて『つなぐ』ことがよくあります。
 中でもチョコレートを食べることが多いです。頭を使っているときにはカカオがいいとか、そんな情報をどこかで読んだことがあって、粗忽にも頭脳労働している気分で食しているのです。私の場合「体を全く使っていない」という意味程度の「頭脳労働」なのですが。

 ところで、お菓子を求めてスーパーに出かけた時の話です。昨日書いたように最近売り場は旧正月グッズであふれ返っています。お菓子売り場も例外ではありません。おそらくこの季節、あちこちの家で人々が集うからでしょう、特にクッキーだとかチョコレートだとかはファミリーサイズ(箱)になって売られています。

 そんな中、私が目を留めたのは日本のチョコレート「メルティキッス」です。この時期の香港においては、大好きなそれもやはり他のチョコレートと同じくファミリーサイズ――高級感というかおめでたさ溢れる金色の箱で売られていました。箱の大きさはA4のハードカバーの雑誌を数札重ねた程度でした。私は思わずネタ作りも兼ねて買ってしまいました。40数ドル(約600円)しました。
 私はそれを会社に持っていったのです。というのも、家に置いておくと歯止めが効かずに、二日と持たずに食べつくしてしまうような気がしたので。そして定時後、まだ多くの人が残る中、箱を開けたのです!

 まず目に飛び込んできたのはうすい金色のフィルムでした。その勿体ぶり感に焦らされてしまった私は、けれども躊躇することなくそれをめくり、ついに……ついに24個の個別包装された明治雪吻特純朱古力と出会ったのです。ええ、たった24個でした……。

(つづく)

2005年1月28日

(HK)雪吻

 いよいよ再来週。だんだんと旧正月――まるまる一週間のお休みが近づいてきます。

 最近街角の露店で、旧正月の縁起物をよく見かけます。お年玉(利是)の袋だとか、壁に貼る飾りだとか、どれもみな赤地のものです。その上には、けばけばしく金色でありがたそうな四文字熟語が書いてあります。
 加えて、たいていイラストが添えられています。中華っぽく袖がゆったりとした服を来たおじさんだとか、脈絡もなく日本のキャラクターだとか。先日ネタにした哈姆好きの彼女の机にも飾りが置いてあったのですが、そこに描かれているのはサンリオのキャラクターとおぼしき『水色の髪の毛とピンクの髪の毛の幼い二人の天上人』でした。いったいいつの時代なんだ……。

 確認のために検索をかけたら、多分これだろうと思っていた『キキララ』が全く違う髪の色であることがわかりました……。

 今日は雪吻について書こうと思っていたのですが、なぜかこんなところで引っかかってしまったわけで。

2005年1月24日

(HK)購物商場にて

 近所のショッピングセンターは海をテーマにしているらしく、お店の看板などに魚の意匠を用いています。いつも通る道に置いてあるごみ箱にも、擬人化された海の生き物たちが描かれています。サングラスをかけてちょっとイキがっているサメだとか、おどけているタコだとか。
 まあ、それらイラストはどうでもいい類のもので。しかし本日、ふと今までになく時間をかけて見てしまったところ、新たな発見があったのです。
 何と、
『とれたて新鮮』
 という、どういうわけか日本語が付されていたのです!

「あんなに着飾った挙句に自分が何たるか忘れてしまっていそうなやつらも、元々は食用だったんだなあ」
 なんて想像するのは私一人だけでしょう、きっと。

2005年1月22日

(HK)麺底轉出前一丁 加二元

 今週会社の近くで、色々と具をトッピングしたせいで色も味も何だか分からなくなってしまった麺を食べていたところ、上のようなただし書きを見つけました。

 その食堂では麺は自分で設計することになっています。注文用紙と鉛筆がテーブルの隅に置いてあり、客はめいめい欲しいものを用紙上にマークして、お店の人に渡すのです。具は20種類程度あって、そのうち3つを選ぶことができます。麺も5、6種類あります。もし全ての組み合わせを味わおうなんて思ったら、毎日三食通っても数年はかかってしまうでしょう。

 まあ間違ってもそんなことは考えないのですが、さて、その時のチョイスはというと『回鍋肉』『季節の野菜』『水餃子』の三点でした。ええ、明らかに変です。でも弁明するならば、用意されている具がどれも極端なので、これぐらいの怪しさだったら許容範囲内なのです……ただ、『回鍋肉』が牛肉と竹の子の炒め物だったことには驚きを隠せませんでしたが。
 麺は黄色くて細くごわごわとしている粗麺を選びました。他にも太いうどんのような麺だとか、米の麺だとかも選択することができます。

 さてここで、タイトルに書いたキーワードの意味を説明します。以上のようにこの店では色々な麺を選ぶことができるのですが、その中でも『出前一丁』だけは特別のようで、壁に書かれたあの文章は、実は、
「麺を『出前一丁』に変えるオプションは、2HKドル余計に必要ですよ」
 と告げているのです。

 というのも『出前一丁』のブランド力は、香港では絶大だからで。袋麺からカップ麺に至るまで、様々な味をひっくるめてみんな『出前一丁』ファミリーなのです。とはいっても、お店で普通に出食される麺よりもいわゆる即席麺のほうが高価である現状には、未だ納得がいかないのですが。

(HK)哈姆って

 同僚が彼からのプレゼントなんだ、と言いながら自慢げに黄色い水筒を見せてくれました。よく観察してみると、それには日本のお子様におなじみのげっ歯目のキャラクターが描かれていて、その横には中文名称――『哈姆太郎』と添えられていました。多分もう随分と大人であろう彼女はそのキャラが好きだそうで。

 香港で『哈姆太郎』がそれなりにもてはやされているということは、こちらに来て間もない頃から気付いていました。その意匠を用いたお菓子だとかおもちゃだとか、もちろんVCD(ビデオCD。VHSよりも普及している)なんかも、違和感なくあちこちのお店で売られているので。でも今日は何となく引っかかったのです。

 そこで、
「哈姆って、何のことだか分かる?」
 と聞いてみました。すると、予想通りというべきか、彼女は首を横に振るのです。
「Hamsterの"Ham"だよ」
 と答えを言っても反応がなく。自分の発音が悪いのかと思ってつづりを書いてみても、知らない単語だという返事しか返ってこなくて。結局切り札はgoogleのイメージ検索でした。

 ところで、この文を書くために念のために『哈姆』でgoogle検索(日本語)をかけたところ、きちんと公式ページが引っかかって驚きました。驚きといえば、検索結果上でも、
『とっとこハム太郎の楽しい公式サイト。ハム太郎の情報やゲームがいっぱいなのだ!』
 と、きちんと語尾が徹底されている、のだ!

2005年1月18日

(HK)マイルストーン

 雨の日も風の日も、毎週月曜日の昼に同じレストランに通い続けて1年近く経ちます。昨日、そこで私たちは新たな歴史の目撃者となりました。何と私たちが席に座るやいなや、注文していないのにも関わらずいつもの凍鴛鴦・少甜を持ってきてくれたのです。
 食事のたびにひたすら呪文のように同じ飲み物をオーダーし続けた結果でしょう。常連扱いされることがこんなに気持ちいいものだとは、今まで全く知りませんでした。

 この成果に甘んずることなく、なじみの店の拡大に努めていく所存です。

2005年1月15日

(HK)あまり気持ちのいい話ではなく

 「キャンパスノート」が誕生から30年というページに行ってきました。で、思い出したのはなぜか香港で普及している「Gambolノート」です。よく見るGambolのデザインは、キャンパスの2代目のそれとほとんど同じなので、きっとコピー商品なのだと思います。

 ところで、ふと思い立ってこの「Gambolノート」について検索をしてみたところ、製品紹介のページが見つかり、びっくりしてしまいました。
http://www.cngambol.com/cp.htm (簡体字中国語なので見られない人もいるかと思います)
 簡体字中国語を使っているということは中国本土の会社だと思うのですが、にもかかわらずその会社の名前は「Gambol渡辺」らしいのです。これは、日本企業のかもし出す雰囲気をコピーした、ってことなんですかね……。

 日本人のメジャー名字は既に中国人によって商標登録済みなのかもしれない、なんてあながち冗談ではなかったり。

2005年1月14日

(HK)数ヶ月ぶりに雨がぱらつきました。

 タイトルと本文は全く関係ないです。

 マクドナルドの卓上カレンダーを職場で使っています。それには、女の人の手帳などにありがちなシールがおまけでついてきました。あらかじめ大事な日付に貼っておけば、うっかり忘れてしまうことがありませんよ……という温かい心遣いです、多分。例えば、給料日のシールの場合、数えてみると12枚ちょうど入っていました。そのような大事な日付だったら頭の中に完璧に入っているので、わざわざ貼るまでもないような気がしますが。
 加えて、容易に想像がつく、誕生日シールなるものもきちんと入っていました。まず、父親誕生日シール、母親誕生日シール、__(空欄になっていました)誕生日シールが2枚、そして愛人誕生日シール。


 えっ、『愛人』って……。よく見ると英語も漢字の下に付記してあり、いわく、"lovers birthday"と。別にびっくりするほどのことではありませんでした。それでも確認のために身近な香港の人に聞いてみると、
「うーん、普通話の単語かなあ」
 とのことでした。広東語では別の言葉があるそうです。
 きっと、中国語学習者にとっては『愛人』という単語は驚きでもなんでもないのでしょう。


 でも折角なので、ここで異文化交流をしてみることにしました。たまたま私が質問をしたのは女性だったのですが、彼女に日本語的『愛人』の意味を説明してみたのです。
「『愛人』というのは特別な関係で、結婚している人が結婚相手以外の人と付き合っていることを指す」
 そんな感じで伝えたかったのですが、うっかり"sometimes"という単語を使ってしまったのです。すると……、
「中には、結婚相手以外の人と付き合うような人もいるだろう」
 と言いたかったのに、
「結婚相手以外の人と付き合うことも、時々あるだろう」
 となってしまいました。

 すいません、日本人夫婦というものをおとしめてしまいました……。

2005年1月10日

(HK)『のだめカンタービレ』直輸入

 よく行くページ二ヶ所ほどで「面白い」という評価だったので、あらかじめ日本で10巻まとめて買ってもらってました(さりげなく目的語?を隠してみました)。
 それで1月4日、新幹線に3時間近く乗っている間、ひたすらにやにやしながら読みふけっていました。今、本は部屋に転がっています、それこそ『のだめ』状態で。

 主人公『のだめ』がピアノを弾き、彼女の憧れの彼が指揮者を目指す、という、書いてしまうとずいぶんと単純なストーリーですが、いや、よかったです。「がんばるor努力する」という普遍的なテーマを、クサくならずに人間の感情とともに、かつ笑いを交えつつ描いているので、読み終わった後何となく励まされたような気分になりました。30にもなって漫画に影響受けまくってます。
 最新刊の10巻で主人公二人は音楽の本場パリへと乗り込みます(ここで登場する脇役の『片平さん』が好きです、私と同い年ですし)。連載が続いているので単行本はそこで終わりなのですが……やっぱり、『海外』っていうところで勝手に共感してしまいます。どうにも私は単純です。

 エンジニアの私にとっての本場といえば、シリコンバレーでしょうか。地中海性気候(中学地理の知識)の素晴らしい気候のもとで、非常に優秀な人々が自分の時間を大切にしながら働いている、そんなイメージがあります。一度は行ってみたいです。
 結局大事なことは、今の仕事をしっかりとこなすことなんでしょう。というわけで、日本のほとんどの皆様がお休みを取っている月曜日も、ええ、働きますとも。

2005年1月8日

(HK)配偶者のこと

 私は男性で、結婚してからもう数年が経過しているのですが、いまだに『相手』の対外的な呼び名を決めていないのです。今年に入ってからこのページに家族のことを書き始めて、その点不自由を感じています。

 順当なところだと『奥さん』ですか? 『女房』はちょっとオヤジくさいし。昔うっかり『かみさん』という言葉を使ってしまった時には(たまたまその場にいて一緒に話していた同僚が、そういうふうに呼ぶ人だったのです)、ものすごい拒絶にあいました。子供がいる場合『母さん』と呼ぶ人もいるようですが、これもいやですね。そもそも定義に合ってないし。

 そんなわけで、本当に親しい人には「XXX(ファーストネーム)の実家に行ってたんだけど」と、また、会社の人間には「『向こう』の実家に帰っていました」などと工夫しています。それから『うち』も便利な言葉ですね。話し相手が先に配偶者の話題を始めたときには、例えば「『うち』はスキーとかあまりしないんだよね」というように切り返すことで、上記定番ワードを使わずにすみます。

 ところで、そう考えていくと英語は楽です。単純に『My wife』と、もう照れも遠慮もいりません。だからといって日本語として「『ワイフ』はなんだか韓国ドラマが……」のように使用してしまうと、これはこれでもう上に書いたどの呼び名よりも激しく拒絶してしまいます、私の場合。

2005年1月7日

(HK)旅行メモ

 元旦に急遽帰ることになったので、当然飛行機は正規料金でした。エコノミーといえどもぶっ飛んだ値段でした。それでもおまけで搭乗前にラウンジ(本来はビジネスだとかもっと上のクラスの人々のための部屋)への入室が許可されました。
 ラウンジでは飲食が無料でできます。別にお酒に興味はないので食べ物のコーナーに行ってみると、軽食――サンドイッチやカップラーメンなどが発見できました。
 結局一番そそられたのはハーゲンダッツのアイスクリームでした。予想通りそれはとてもおいしかったです。けれども一個食べれば充分、つまり、高い運賃を補償するために躍起になってたくさん食べようとは思いませんでした。そんな考えが浮かんでしまうあたりが貧乏性です。

 飛行機の中では、元旦のフライトだからでしょう、おとそと『昆布だとか煮干だとか』が特別に配られました。そんな儀式もあったなあ、と思ったのですが、『昆布だとか煮干だとか』の名称のほうは思い出すことができず。今調べたんですけど、『ごまめ』で合っているんでしょうか?

2005年1月5日

(HK)とはいえ、香港は旧正月メインの地域ですから……

 白石蔵王以外の各駅に止まる東北新幹線で東京まで向かいました。当然座席指定なんて取っていないし、自由席も座れることはなく、結局デッキの部分で立ちっぱなしでした。新白河のあたりで急に込みだしました。あれこそが風物詩である『200%を超える乗車率』だったと思います。
 車掌は「自由席が混雑しましてご迷惑をおかけしました」とか詫びていたんですが、一方、車内販売の案内は通常通りでした。聞きながら『ワゴンでお席まで伺います』なんていい度胸だねぇ、え、本気でこれると思ってるのかい? と邪悪に妄想していました。

 息子は乳児らしく元気でした。娘は今日は泣きませんでした。父は香港で出稼ぎを続けます。

2005年1月3日

(JAPAN)うれしいこと

 急遽日本に帰ってきました。周りの田畑にはまだ雪が残っている、そんな東北の名ばかりの市にいます。
 あんな記事を書いていた1月1日に、長男が産まれたのです。娘のときと同じようなわりとしっかりした顔の子でした。
 家族が一人増えるのはうれしいことなのですが、長男と面会した今日の私の場合、いろいろな感情や思考がうわーっと同時に押し寄せて来たため、無邪気にはしゃぐことが出来ませんでした。娘が産まれたときもそうでしたが。少し時間が必要なんだと思います。

 一方、娘との再会のほうは非常にうれしかったです。娘もずいぶんと喜んでくれましたし。小さい子は成長が早いのでしょう、数ヶ月前よりかなりおしゃべりできるようになっていました。こちらで幼稚園に通い出したせいもあるかもしれません。というのも、香港にいた時と比べると、娘のイントネーションが一部東北仕様に変わっているような気がしたのです。

2005年1月1日

(HK)恭賀新禧!

 少し体調が悪くてさっきまで寝ていたのですが、やっぱり8時半なんかに寝始めるのは早すぎたようで、今時間にこうやって起きだしてネットなどしています。日本に遅れること一時間、香港も2005年を迎えました。
 年が変わるなんて大したことじゃない、なんて斜めに構えた態度をとりがちな私ですが、それでもこういう時節にはやっぱり去年のことだとか今年のことだとかを考えてしまいます。自分の内面について深夜の高揚を文章にすると、あとあとむちゃくちゃ恥ずかしかったりするかもしれませんが……ええい、書いてしまえ。書きたいんだし。後で消せばいいんだし。

 個人のことはほとんど書いていませんが、また、いまだ大人になりきれていないような文をさらけ出していますが、私は結婚していて娘がいます。とりあえず単身で香港にやってきたのがおととしの夏、家族が日本から来たのが去年の春、家族が日本へ帰ったのが秋です。今は香港で一人です。それで、ぴーごろごろごろ、とモデムでインターネットをしています。
 家族と一緒に暮らしている間もいい夫、いい父親ではなかったとは思いますが、こうやって単身赴任してしまっている現在よりはそれでもましだったのではないかと。よく申し訳ない気分になります。一応現在の別居は将来には解消される??家族はまた(一人増えて)香港に戻ってくる予定になっています。

 去年の一番の思い出は、娘とプールで遊んだことです。3回か4回行くことができました。一回につき1時間ちょっとですから、妻曰く、そんな少しのことでは「子供の世話をした」とは認められない、そうです。まあ、私の家庭に対する貢献がそのように低く評価されるのは当然でしょうが、だからといって、その体験が矮小なものだったかというと、決してそんなことはなく。

 娘はまずはじめに、子供用のプールに向かいます。その真ん中には噴水がついていて、そこで娘は、水の飛び出す穴を足でふさいで圧力を感じたり、吹き出している水に浮き輪を近づけ斥力を感じたりします。私は一緒に遊ぶことも多かったのですが、水深の浅いそのプールに座り込んで(そうでもしないと全身を水の中に入れることができないので)、一人で遊んでいる様子をぼーっと観察することもありました。そのうちに大抵私は飽きてしまい、やがて、大人用のプールに行こうか、と誘うことになります。
 ところが、娘はその単調な遊びが気に入っているようで、なかなか同意してくれないのです。で、私は辛抱できなくなって無理やり気味に深いプールに連れて行くのですが、いざ入ってみるとそれはそれで喜んでくれます。私は娘を抱っこした状態で、プールの中をひたすら歩き続けます。最後は二人とも程よく疲れたところでお開きになります。


 今年はもうちょっといい父親になりたいです。
 予定通り書いていて恥ずかしくなったので、コメント機能をはずします。いえ、ほんとに、読んでもらっただけで感謝ですから。