2006年6月22日

(HK)ブラジル戦を前に

 この前の日曜日、21時になったのでテレビをつけるとNHKのBSニュースが映りました。あれっ、日本時間22時、つまり香港時間21時にキックオフなはずだけど……と思っていたらそのニュースの中で、
「現在クロアチア戦はBSハイビジョンで放送されています」
なんて言っているじゃないですか。「今ご覧の」チャンネルではないんですね……。
 その前のオーストラリア戦はどのNHKだか忘れましたが、見られたのです。多分それはBS1かBS2かのどちらかで、この2つだったら香港の今の住まいでも映るのですっかり油断していました。そういえば放映権とかありましたね。日本では民放が担当していたのでしょう。

 結局試合の様子は、ニュースで後から見ることができました。録画といえども川口のスーパープレイにはびっくりしました。また日本にとってとても惜しいシーンもありました。ただあのように編集で切り出されてしまうと、ほんのいくつかのプレイが全てかのように感じてしまいます。真実はどうなのでしょう……そういう細部が全体の勝敗を本当に支配しているものなのでしょうか。

 ともかく後もう一試合することができます。可能性はまだ残っているわけですから日本選手のモチベーションは下がらないでしょう。ブラジルは主力選手を使わないかもしれませんが、控えメンバーといえども強力で、しかも彼らはプレイを渇望しているのでその気持ちも加わって、最強ブラジルが登場することには変わりがないでしょう。ワールドカップという最高の舞台で最強の相手とやれるというのは、日本のサッカーというこれからも続いていく「道」にとってかけがえのないものだと思います。ここまで来たのはすごいことだと思います、でもここで終わりじゃないのです。

 サッカーごときにいろいろ重ね合わせるのはやっぱり愚かなのかもしれません。けれども8年前と今とを比較して、
「全然変わっていないじゃん……」
 と思わされるなんて耐えられません、私は。
 日本サッカーはあえてぬるま湯から出て世界にうって出たのですから、もっと高いところを目指してもらいたいと願っています。

2006年6月14日

(HK)敗戦の次の日

 先週タクシーに乗った時、行き先をつたない広東語で告げるとすぐに日本人だと看破されました。お前は日本人か、という質問が来るのはおそらく運転手さんが日本・日本人に興味があるからでしょう。で、その時はワールドカップの話になったのでした。
「中国はだめだった、でも日本と韓国はアジアの代表で出ることができる、だからGoodだ」という内容をしきりに語るのです。香港は基本的に対日感情がいいということを差し引いてもなかなかうれしい会話でした、が……。
 今日の香港の新聞には試合を評して「莫氣」と書いてありました。中国語と日本語でニュアンスは異なるかもしれませんが「莫氣」=「莫気」=「ボケ」。


 ところで昨日の試合を見ていて、
「あ、サッカーは試合中にタイムアウトが取れないんだ……」
と感じました。当たり前のことかもしれませんが個人的には発見でした。選手たちは自分の役割を認識し、勝利を望み、基本的に彼らの仕事をしていたと思います。けれども周囲からの期待だとかラッキーだった先取点だとか、そういう邪念がわいてきてその瞬間瞬間の判断がずれ始めた場合、サッカーの場合修正するのが難しいのでしょう。あくまで門外漢の想像ですが。


 想像といえば、私は、
「代表たちの小学生時代のコーチが田舎で試合を観戦している図」
というのも思い浮かべました。この機会に新調したかもしれないハイビジョンの薄型大型のテレビに、ひょっとしたら抱きつかんばかりに近づいて、きっと叫んだことでしょう、
「走れ」「諦めるな」
と。そういったメッセージはシンプルでありがちで、でも普遍的な価値を持っていると思います。


 単なるボール遊びに多くの人が勝手に色々なものを重ねています。私も昨日は三点目が入ったら不愉快になって、テレビを消してしまい最後まで見ませんでしたし、その後は速攻寝ました。今日は通勤中目に入る香港の新聞の記事がまるで日本人を卑しめているかのように映りました。
 私はこのような状況を作り出せる主である選手たちをすごいと思います。また、すごいのだということを選手たち自身に改めて気づいてもらいたいと願っています。そして翻って自分を省みています。やっぱり最後までやらないと、と。

2006年6月3日

(Text)初めてのアメリカ出張 ストーリー風味

 帰りのフライトは深夜一時なのだが、早めにサンフランシスコ空港に向かうことにした。行きと同じようにマークが送ってくれることになった。日が落ちてもまだ明るい、そんな時間帯に車はハイウェイをひた走る。運転席のマークと話しながら、けれども私の目は流れる景色を眺めていた。今回は初めてのアメリカだったから飽きることはなかった。知っているハイテク企業のオフィスが次々現れ、それら企業と自分とは接点がないのにも関わらずなぜか無性にわくわくした。何もないとしか形容しようのないだだっ広い空間があった。ボディに「sell」と大書してあるおんぼろ車が走っているのを見た時は、やっぱり本当にアメリカ人はそんなことするんだ、と自分の目で確認できてうれしかった。車は結構なスピードが出ていると感じたが、ちらりと見た表示盤の数字がマイル時だったのでどうでもよくなった。

 マークに会ったのはこの出張が初めてだった。しかもこんなふうに車の中でのみ話をする、その程度の係わり合いしかなかったせいか、車中時々話が途切れ私は気まずさを感じた。
 ふと私は思いついて、その日の昼食を話題にすることにした。というのも行ったのは中華、それも広東料理っぽい點心だったし、かつ話の相手、マークは香港出身・サンノゼ駐在だったので。あれは本当の広東なのかとか、中華野菜をこっちでも栽培しているのかとか、そんなやりとりをしていると、マークが問う。夕食はどうするのか、と。何か適当に空港で探して食べるつもりだったので、そう伝えると、一緒に食べようと誘ってくれた。ありがたい話に頷いていると、何料理がいい、中華か? と聞く。
 結局、彼のよく行く広東料理の店に連れて行ってもらうことになった。初めてのアメリカ出張、予想に反してアメリカンじゃない食事が多い。