2005年12月31日

(HK)年末に

 香港の街を行く二階建てバスの行き先表示が、クリスマスや新年を祝うメッセージへと変わる、そんな季節がまたやってきました。ここ数ヶ月ほどはネットに文章を書かずにいました。その代わりに何をしていたを思い出そうとしても、別に何もというか、たちの悪い風邪をひいたりしていました。昼間は元気なのですが、朝起きたときと夜に咳が止まらなかったのです。二週間以上続いたと思います。家族も代わる代わるひいていました。

 先日会社でクリスマスパーティーがありました。プレゼント交換という、日本だったら小学生ぐらいしかやらないようなイベントが催され、誰かが購入した『みんなのたあ坊 タオル&ソープボトル ギフトセット』が私のところにやってきました。ラッピングを開けた瞬間顔が引きつりそうになったのですが、周りの人々がどうやら私のそのプレゼントを羨んでいるように見えたのでがんばって笑顔に修正しました。たあ坊……何故にここまで香港で健在なんだろう……疑問です。

 ブログを書くことで自分がどういう人なのかを伝えることができ、そのおかげで転職活動大成功! なんていう記事を読むと、転職を二回もしてしまっていてこの先も非安定雇用であろう私としてはかなりそそられます。けれども、仕事のことなんて気恥ずかしくって書けないですし。何せ特殊な分野なもので誰も読んでくれないかと……というか、自分の中にある、この手の謙遜のような自慢のようなヘンテコなフィルターのことを考えると、それはやめといたほうがいいと思うのです。

 インターネットに文章をさらすようになってからかなり経っているのにも関わらず、全然成長せず未だにこんな感じです。でも時々こうやって何かを書きつけています。やはりこれはアクセスしてくれる皆様がいるおかげです。今年もどうもありがとうございました。皆様もどうかお体にはお気をつけて。
 私のほうはぼちぼち続けていきます。例えるならば香港にてサバイブするたあ坊のように……と、無理やり第二段落を関連付けしてみます。

2005年12月21日

(HK)WTOが去りました。

 仕事上の付き合いがある方に、晩御飯をご馳走になりました。日本から出張で来ているその人(Aさん)と、そこの会社の香港オフィスのローカルのスタッフ(この文ではとりあえずエリックと呼ぶことにします)と、私の三人で中華を食べていました。
 エリックさんは日系の会社に勤めているからでしょう、日本語に興味を持っているようでした。まだカタコトの挨拶ができる程度でしたが、Aさんから色々教わっていました。


 さて、日本人二人がビールをどんどんと空けている時のことです。突然Aさんが、
「エリック、『ほもだち』なる日本語を知っているか?」
 と言い出したのです。私は吹き出しそうになりました。
 きょとんとしているエリックに、Aさんは説明します。
「『ともだち』じゃないんだよ……俺とお前のような、『ともだち』よりももっと親しい、それが『ほもだち』ってやつなのさ……」
 ああ、こうやって日本語を使って書くととっても怪しいです。

「分かるかエリック……、俺とお前は『ほもだち』なんだよ……」
 エリックが私に助けを求めてきました。Aさんの言っていることは本当なのか、と。既にほろ酔い気味のAさんはエリックと肩を組んだりし始めていたので、エリックも怪しみだしたのでしょう。でも私はAさんに遠慮して、
「『ほもだち』っていうのは特別な関係なんだよ」
 という解釈にとどめたのでした。


 やがて何か感づいたらしいエリックはペンを出し、メニューの余白にこう記しました。
『同志』
 Aさんと私は顔を見合わせます。エリックは言います、
「お前らの言う『ほもだち』っていうのは広東語では『同志』だ」
 と。びっくりしましたが、実はこれは勘違いではなく……さすがにエリックはきちんと理解していたのでした。『同志』にはそういう意味があるのだそうです。さすが資本主義香港。社会/共産主義を揶揄しているんですね。

 最近ではこの『同志』という隠語が普通話の人々にも理解されるようになってきているとか。共産党の一党支配にも綻びが見られます、といった紋切り型で締めたいと思います。