腎臓の石のために入院した時のことです。
書類に色々書き込まなくてはならなかったのですが、その中に戸惑った項目があります――Religion――宗教はなんですか? という質問です。病院としては何肉が食べられるのか、とか、輸血が大丈夫なのか、とか知りたかったのでしょう。
思うのですが、この項目に際してBuddhistとか、まあ他の宗教でもいいですけど、即座に書き込める日本人ってそんなに多くないんじゃないでしょうか。本当のChristianならすんなり埋められるかもしれませんが……。この辺、私の勝手な想像です。
結局私は空欄にしました。そして、ふと、『無宗教主義者』という扱いになるかな? と心配になりました。聞くところによると、アメリカなんかでは『無宗教主義者』=『無神論者』となって、人として信ずるに足らず、というレッテルを貼られるそうで。ここは香港なので、少しは寛容だと思いたいです。
でも、繰り返しますが私の想像では、日本人のほとんどは、宗教を尋ねられても答えられない、いわば『無宗教層』だと思うのです――と、ここから選挙の話になります。
昨日今日とテレビやインターネットのニュースを見て、私は、『無党派層』という言葉が『その場その場で日和見的な反応をする有権者』という意味合いで使われている、と少し憤りを覚えました。『決まった政党に投票する』という裏返せば画一的とも取れる行動をとらないだけで、何でそこまで愚民扱いされねばならないんですか。だってさあ、子供が生まれたらお宮参りに行って、教会で結婚して、お寺で葬式をするような国民ですよ、我々は。
やっぱり組織選挙の連中こそマイナスイメージを植えつけられるべきだと思うのです。地縁、業界団体、宗教団体、労働組合、がちがちに縛り付けられたやつらを『受動的投票者』と呼んでやりたい。それに対して『無党派層』はアクティブだと。明るいイメージこそふさわしい、そう思うのです。
よく『私は自民党支持者ではありませんが……』という断りの一文を個人のページで見かけます。きっと自分自身が伝統的な自民党支持者と同一視されることを恐れているのだと思います……というか、私も同様に恐れているので使います、(あ)は自民党支持者ではありません。
けれども、そんな断り書きはなくなるべきなのです。飄々といろんな党を渡り歩く、そんな投票者で私はいいと思っています――次に選挙に行くことがあれば……すいません、香港にいるもので。面倒そうで今回も棄権しました……。
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